決めつけない見方
どんなものごとにも、美しさや価値を見ようとする視点
ものごとの本質を見る視点や、この世界の真理を知ることを「悟り」と言います。
その悟りの境地に到達するための一つの姿勢として、「決めつけない」ということがあります。
たとえば、一見、魅力を見つけられない物が芸術の世界では本当の美とされたりするように、
何が正しくて、何が間違っているかとか、
これは美しくて、これは美しくない、
という二つの両端にある見方をすることは、境界線を作り出すことや、決めつけてしまうことにもなるのでしょう。
お仕事の中でも、みんなと違う行動をする人がいると、空気が読めないとか仕事ができないというレッテルを貼ろうとされることもあるかもしれません。
それは、こうしなければいけないとか、これが正しいという固定観念をその場のみんなで共有しようとしていることですから、自然ではないことなのです。
自分自身についても同じことです。
無意識のうちに、こうしなければ、こうするべきだという自分の上限を定める考え方が働いているかもしれません。
この世界には、こっちがいいという人もいれば、あっちがいいという人もいます。
あなたの思う通りに選べる時もあれば、選べない時もあります。
本当は、どちらでもいいのです。
どのような選択をしても、私たちが最終的に行き着くところはそれほど差はないような気がするのです。
だから、一時的な欲や損得よりも、どっちを選んでも私は大丈夫という余裕をもって楽に生きていいのです。

「一つのドアが閉まるとき、別のドアが開く。
しかし、閉まったドアをいつまでも残念そうに見つめているので、
開いているドアが見えないことがよくある」
(グラハム・ベル)
という言葉があります。
悟りとは、日々の鍛錬や厳しい修行によって感じられるものでもありますが、
大切なことは、気づけるか気づけないか、というところだと思うのです。
たとえば、素晴らしい景色が目の前にあったとしても、それに気づかなければ視界には入ってきません。
そしてもし、その景色に気づいたとしても、その美しさや価値を見る心がなければ理解はできないものなのです。
私たちが人生で成果を上げる時は、運の良さもあるのでしょうが、それよりも目の前のチャンスに気づいて、
その価値を理解して、手に入れようと思ったからこそなのです。
目の前にあるものの美しさや価値に気づくこと。
それが、人生も転換期やタイミングに気づく感覚も養ってくれるのです。

「人を信じよ、しかし、その百倍も自らを信じよ」
(手塚治虫)
という言葉があります。
自分の人生の目的に気づかされるような気づきに、どのような形で出会うかは人それぞれなのです。
それを見つけようとしても見つけられないこともあったり、何かをやっているうちに間接的に見つかることもあるのです。
だから、いつも敏感でいること。
同じようなルーティンの生活の中にあっても、心をみずみずしく、身体を通して感じられる新しい刺激を感じられるように。
そして、正しいものの見方をすること。
ものごとを肯定的に見る姿勢は、あなたに本当にやりたいことを分からせてくれるのです。
どのようなことも、100%良くて100%悪いということはほとんどないのです。
だから、悪いところを見つけていけば、どのようなことにもあきらめる理由も見つかるのです。
それは、私たち人間も同じこと。
長所もあれば、短所もある。
でも、ある状態ではその長所は短所になって、その短所が長所にもなるのです。
決めつけることのないフラットな視点が、そのことに気づかせてくれるのです。
「毎日大勢とすれ違う。
その誰かと、もしかして親友になれるかもしれない
だから僕はすれ違いを避けない。
ケガする時もあるけど、楽しければいい」
(映画「天使の涙」より)
この記事へのコメントはありません。