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散歩をする人

楽に生きるためには、過去と自分をゆるすこと

私たちは、今を生きるなかで身をもって体験したいろんなことを、自分のなかに記憶として積み重ねていきます。

そのなかには、頭に思い浮かべるだけで笑顔になるような幸せな思い出でもあれば、胸が痛くなるような怒りを呼ぶような思い出もあります。

何年たっても、過去を背負って生きていくということや、過去を忘れないことの根底には、いつまでも過去のことを忘れたくない気持ちがあるのでしょう。

でも、その過去の出来事を変えることはできませんが、感情が彩る過去は変えることができるのです。

過去が変わる時とは、相手がしたことばかりを考えることをやめた時、そしてゆるすことを決めた時なのです。

「ゆるしは心の平安を得るために、私たちの弱い手に与えられた道具なのです。
恨み、怒り、暴力、復讐を手放すことが幸せに生きるための必要条件です」
(ローマ教皇)
という言葉があります。

私たち人間は、どんなに自分に非がない不条理な出来事に出遭ったとしても、それをゆるすことができるのでしょうか。

多くの宗教や、スピリチュアルの立場からの発信をされている方々が言われているように、

私たちは、生きているなかで問題・困難・不適応・不条理を体験して、その時の対応の仕方のなかに、自分の心の歪みや自己中心的な考えを見つけていきます。

例えば、望ましくない状況に陥った時、私たちはそれを乗り越えるために、心の中でいろいろな感情を起こします。

まず、自分を守るために自分の言動を正当化しようとします。

そして、その意図や感情を他者の心と比べて、不満や不足を解消しようとします。

でも、このような方法ではあなたの心に歪みがあるから、問題の解決にはたどり着けないのです。

一時的な、目線をそらすための解決が目的であればであればそれでいいと思います。

でも、根本的な解決を目指すのであれば、

怒りの感情をもって自分で帳じりを合わせるような、報復感情を乗り越えていくためには、

人間というものを理解することが必要なのでしょう。

「自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ」
(ボブ・マーリー)

という言葉があります。

今を肯定するために過去も肯定する考え方は、どんな過去もすべてをよい思い出にしてくれます。

今の自分に満足することができれば、過去のすべてがいい思い出になるのです。

そして、過去の自分をゆるすことも、過去の出来事を受け入れることもできるのです。

大切なことは、理想から遠い所にいる今の自分を正当化するのではなく、今の自分に満足すること。

それは、「もしも、こんな人に出会っていたら、今はきっと~」とか、

「もしも、あの学校に入学できていれば、今はきっと~」

という、取り戻すことのできない過去に可能性を見ようとすることではありません。

可能性は、これからの未来に向けて見るものですから。

般若心経の中に、「観自在」という言葉があります。

これは、何の偏見もこだわりもない広がりのある自由な視点、という意味の言葉です。

私たちは、耐えることが美しいことのように、我慢という言葉を使ってきました。

でも、仏教ではこの我慢も、人間の煩悩の一つであるとされています。

他者のために自分が耐えてあげているという、強い自己意識から引き起こされる、思いあがった心だとしています。

では、どうすれば、思わしくない出来事や耳にする否定的な言葉に我慢をしている毎日を変えていけるのか。

それは、ものごとを正面から受け止めるのではなく、いろいろな方向から見てみること。

そして、余裕のある、開かれた心でいること。

ちょっと目にしたネガティブなことに対して、そのたびに怒りの感情を起こしたり失望しないこと。

逆に、人から褒められた時も、舞い上がって大切なことを見落とさないこと。

そうなるためには、日々、自分の価値観のフィルターが絶対に正しいと思わないこと。

いろんな人が、ひとり一人の数だけの意見を持っているように、私の意見もその中の一つだととらえて、視野を広く持つことです。

その時に、物事にはいろんな見方があることに気づくでしょうし、自分の意見に固執することも、自分を守ろうと身構えることも、何かを失うことも恐れなくなります。

そして、楽に生きることができるのです。

「自分が何者なのかを、きちんと理解する。
 有意義な人生を歩むためには、
 それがどうしても必要なことです」
 (映画「わたしを離さないで」より)

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