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マラソンをしている人

頑張っている自分を認めること、好きになること

あなたは今、追いかけている夢や、こうなったらいいなという理想を心に持っていますか?

もし、あなたが今、道半ばにあって、歩みを止めて過去を振り返ることが多いのなら、

あなたがしてきたことの成果がまだ見えていないことに対して、自分を認めることができなくても、

とりあえず今までがんばってきた自分を認めること。

そうして定点観測をくり返すなかで、新しい展開を見つけていく。

自分で自分を認めることから、始まるのです。

自分を認めるということは、自分を好きになることでもあります。

それは、目も髪も手も足も、清らかな心も、ふと湧いてしまう悪意も、あなたの感じるすべてを愛すること。

他者を否定するように、自分という人間を否定してしまうと、人生そのものが思い通りにいかなくなります。

自分をよく知ること、好きになることが人生を心から楽しむためのカギなのです。

だから、周りの人が指し示す道や、あなたの今までの経験が導き出す道が、今のあなたに合わないのなら、その道を歩む必要はないのです。

私たちは、時々、突然に願いが叶って驚くことがあります。

その時、あなたの中の手に入らないほどの理想や、心から望んでいることに対する疑いや怖れが消えていくはず。

そのようなことについて、聖書では、このように書かれています。

「私の手になるわざについて、あなたが私に命ずるのです」

人間の願いとは、それがどんなに大きくても、どんなに小さくても、きっといつでも実現する用意ができているのでしょう。

つまり、心を惑わされずに望むことができるなら、どのような望みも叶えられるということなのでしょう。

心の中にある光景を現実のものとしようとする私たちに必要なことは、恐れの代わりに信じる心を持つこと。

悪いことを信じる代わりに、善いことを信じること。

仏教には、このような言葉があります。

「善因善果 悪因悪果」

よい行いにはよい結果、悪い行いには悪い結果があるということ。

つまり、身の周りで起こることには、原因があるということ。

また、その原因を作っているのは自分自身でもあるということ。

よくないことが起きると、あの人が悪い、社会が悪い、時代が悪いと、外に原因を求めたくなります。

でも、大切なことはいい結果を引き寄せるように、日々、よいご縁を結ぶ、善行を行う意識をもつことです。

「〖一切の形成されたものは無常である〗と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる」(ダンマパダ277)

という言葉があります。

毎日、寝る前にはあらゆるものを忘れ、起きた時には今日という日を与えられたことを噛みしめる。

変化を嘆くことなく、より積極的で前向きな一日をすごす。という意味の言葉です。

私たちが賢く、自分のなかにある怒りや悲しみのなかに踏み込んでいく勇気をもつことができれば、感情に振り回されることはなくなります。

怒りや悲しみを自分でコントロールする余裕が生まれるからです。

人生から、怒りや悲しみが完全になくなることはないかもしれません。

でも、私たちはこの世界で道を見いだします。

自分自身を愛して、いつか新しい日が来ることを信じて、日々を大切に生きることで、

あなたの思う人生への道を歩み続ける心の強さと勇気を与えられるはずです。

私たちは、効率よくいろいろなことを経験していくことはできません。

人に聞くだけではなく、自分の身体と心を使って、「学び」を得ていくのです。

痛い言葉が、あなたの成長のために必要な時もあるでしょう。

今までを思い出せば、いじめや悲しい思いもありましたし、不幸なこともありましたが、

でも、それらはすべて、私を強くするために必要だったと今は思えるのなら、

そう思えることが、あなたの人間的な魅力なのです。

傷つくのは、あなたが豊かな心をもっているから。

でも、どのような時も、人間性を信じることを止めてはいけない。

今、あなたは十分にがんばっています。

「狭くともいい
 一すじであれ
 どこまでも掘りさげてゆけ
 いつも澄んで
 点の一角を見つめろ」
(板村真民)

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