「与える」という生き方
「なぜ、ヒーリングをしたいと思いましたか?」
「岡野式神気ヒーリング講座」を受講されに来られた方に、私はいつもこう尋ねます。
それは、あなたの今の人間観や感受性や、あなたがどこを向いて立っているかを知りたいから。
ヒーリングや、人を癒したいと思うきっかけは興味であってもいいですし、崇高な理念や思想は後からついてくるものであってもいいのです。
ものごとを始める動機は、最初はどのようなことであってもいいと思うのです。
でも、同じ時間、同じ空間を生きていくのなら、あなたの心が向く方へ進むほうがいい。
人に好かれ、人に元気を与え、人を励ますという人生のほうがいい。
私たちは、生きている以上は、どのような生き方であれ、必ず誰かに影響を与えているのですから。
一人でもたくさんの「癒し人」が誕生してほしいと願っています。
私たちは、この世で「得る」「手に入れる」ことを目標としていて、有能な人物であることを目指して生きています。
その情熱に支えられて生きることが、生き物の人間としては自然で健康なことなのでしょう。
でも、ふとした出来事や病気をとおして、突然、今までと180度の意識の転換が行われることがあります。
何が自分の中で反応したのかは、分かりません。
確かなのは、自分のなかで価値観が変化したということ。
そして、物質的なものや、この世的な価値が色あせて、その代わりに魂の世界が輝いて見え始める。
その体験以来、その人には「得る」側から「与える」側に廻る生き方が用意されているのだろうと思うのです。
私たちは誰もがこうして、生きながら何度も生まれ変わる体験をしていくのです。
「私たちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。
奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勤める人は勤めに精を出しなさい。
施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい」
(ローマの信徒への手紙12章6~8節)
という言葉があります。
身体を使って奉仕をすることや、金銭的に支援することを、私たちは善意ととらえます。
そして、そこに心からあふれ出るものがあれば、そこから広がっていく喜びも平和も現われるのです。
だから、どんな小さなことでも、そこに心をこめて行うことが大切なことです。
「奉仕」と訳されている語は、ギリシャ語ではディアコニアといい、これは奉仕という意味のほかに、「何かの世話役」という意味をも含んでいます。
教える才能をいただいている人は、教理を教える。
なぐさめたり、励ますことが得意な人は、弱っている人を元気づけに行く。
お金によって施しのできる人はお金を施し、リーダーとなる人は骨惜しみせずに尽くし、人を助けることのできる人は気持ちよく助けることなのです。
自分にとっての善に欲求を限定すれば、人間は幸せにならずにはいられないのです。
あなたがどんなに与えたとしても、その人が善い方へ向かうという保証はありません。
でも、保証がないからこそ、あなたの言動は無条件であり、美しいのです。
まず、あなたから始めていくこと。
いっさいの条件をつけることもなく、どんな結果が待っているとしても、最初の一歩を踏み出すのはあなたです。
この世で行った善行が貴いのは、誰一人知らなくても、ただ自分自身と、そして自身とつながる神のみが知るからなのです。
「お子さんに『何のために生きるの?』と聞かれたら、
『誰かを幸せにするために生きるのよ』と教えてあげてください」
(瀬戸内寂聴)
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