「子供になる」ということ
アントニオ猪木さんの名言に、有名なこの言葉があります。
「馬鹿になれ」
この言葉を、私は「子供になれ」と受け止めています。
子供になるとは、「お得か・損か」「上手か・下手か」ではなく、「好きか・嫌いか」で決めるという、未来でも過去でもない「今ここ」を価値とする、判断基準をもつこと。
好きになる。嫌いになる。愛する。憎む。
この世の物事の価値は「自分がどう思うか」で決めるものなのです。
人間は、この世の瞬間的な欲望にとらわれてしまうもの。
でも、それらのものは、私たちのほんの一部しか心を満たさないし、どれだけ手に入れても心の渇きは止まらないもの。
大切なことは、短絡的な欲を満たすだけの目の前にあるものより、まだ遠くに見える可能性を選択すること。
ほんとうに心を満たされる、潤されるということは、いかに魂の喜びを知っている生活をするかということなのです。
「僕は一貫して自己満足です。目指すものは」(甲本ヒロト)
という言葉があります。
大人とは、経験によって、なすべき正しいことと、そうでないこととをわきまえる感覚を訓練された人のことを言うそうです。
かつて子供だった私たち大人も、私たちひとり一人が子どもであった頃のアイデンティティを忘れないように。
私たちのなかに、状況に応じて喜びや悲しみが生まれるように、人間とはその時に応じて、価値観が若くなったり歳をとったりするものです。
だから、幼い子供のように、思考の私をいつでも手放すこともできる。
そして、年をとることは、可能性を捨てることではありません。
年をとると、できることが限定されてきます。
でも、そのおかげで、自分が今、何をすべきかがはっきり見えてくるのです。
「あなたは他者の期待を満たすために生きているのではない」
「他者もまた、あなたの期待を満たすために生きているのではない」(アドラー心理学)
という言葉があります。
他者の視線に怯えず、
他者からの評価を気にせず、
他者からの承認も求めず、
ただ自らの信じる最良の道を選んでいく。
その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは自分自身だからです。
この世界の決まり事は、ひたすら変化なく平穏であり続けること。
でも、前向きに革新的に生きようとする人は、そんな世界にあって「例外の存在」になろうとすることを恐れないのです。
良いことと善いことをまちがえないこと。
「絶対」というものはないということ。
自分にとってほんとうに必要なものは何か。
不必要なものまで求め過ぎていないか。
自分と違う考えの者を、自分と同じ考えを持つ者と同じように接すること。
群れること、依存すること、相手に合わせることを第一としないこと。
心が豊かであれば、豊かな感受性をもっていれば、そこから生まれてくるものがあります。
豊かな知識、経験、能力、力、器、そういったものが必ず生まれてくるのです。
この世界とは、自分の見たい景色が広がっているものだから、
自分をジャッジする人は、人を正しいか間違っているかで裁くのだろう。
自分を低く評価する人は、周りの人をばかにするのだろう。
自分に不満がある人は、誰に対しても納得ができないのだろう。
自分をゆるす人は、誰かの過ちの奥にある苦しみがわかる人なのだろう。
自分を励ます人は、誰かの光となれる人なのだろう。
だから、自分を愛している人は、無条件の愛を持っているのだろう。
真理を求めるための実践・鍛錬というものは、知識を使ってする行為ではありません。
大切なことは、本質を見抜くということ。
未だに、私たちは道(みち)半ばで、志(こころざし)半ばなのです。
「この浮世は一つの鏡である。
この鏡には皆、自分の姿が映る。
だから君が
額に八の字を浮かべて鏡に向かえば、
鏡も八の字を寄せて君をにらみ返し、
君が微笑みを浮かべて鏡に対すれば、
鏡も微笑みをもって君に応える」
(サッカレー)
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