「真理」を求め続ける人生
先日、わが家で片付けをしていると、私の昔の写真が出てきました。
20代前半のころと、30代前半のころの写真なのですが、当時はとても仕事が忙しくて、今、私自身が見ても、ハッとするような気負いを感じる顔つきです。
私が、10代後半のころ、テレビでテリー伊藤さんが、
「死ぬときに人に話せる人生を送りなさい。だから、仕事は10年ごとに変えなさい」
とおっしゃっていましたが、私の仕事はその通り、建設作業員から始まって、トラックの運転手、スピリチュアルヒーラーと変わっていきました。
その時その時の自分の心情を表すのが「顔立ち」なのかもしれませんね。
「40歳になったら、自分の顔に責任を持て」(リンカーン)という言葉があります。
人格は、日々の行為の集積なので、自らの毎日の行為によって創られていくもののように思います。
だから、何を思い、何を話して、何をしたか、誰も見ていないところでの気くばりや心にある思いや信念までもが、人格を創って、顔だちとして表れるのが、40歳ごろだということでしょうか。
人の顔の美しさとは、造作が整っていることや、白髪やシワがないということではありません。
私は、ヒーリングをさせていただくことで、いろんな方にお会いしますが、お話をしていくなかで、白髪やシワにその方の歩んできた道というものが見えて、心を重ねてしまいます。
人間は、大きな傷を受けた時にこそ、自分の生き方が問われます。
そのように、どんな苦労にも向き合って、勇気をもって乗り越えて、「ゆるす」ということをしてこられた方から、深く静かな、にじみ出るような美しさを感じるのです。
人生を「旅」に例えるのなら、目指してたどり着いた目的地は、すぐに次への出発点になります。
そのなかで自分らしく、自分しかつけられない足跡をつけて旅を続けていく。
人は、定められた運命を受け入れるしかないのかもしれませんが、自分自身を生きることこそ大切なことなのです。
あなたの眼、価値観、愛であなたの世界を広げていくこと。
この世界に生きるとは、自分が価値づけて意味づけた世界に生きること。
自分の感じ方と考え方が、今、この世界に、あなたの存在をあたえています。
何があっても、あなたを守り、あなたにとっての最善へと、あなたを導いてくれる見えざる存在があるから、何かを恐れて生きる必要はないのです。
真理を求める私たちは、暗闇に伸びる細い道を歩いている存在です。
常識を疑い、自問と自答を繰り返し、どこまで続くか分からない真っ暗な道をひたすら歩いている。
その先に本当に真理があるのか、わかりません。
あるのかもしれないし、ないのかもしれない。
でも、「ここで生きる」ということは、その道を永遠に歩き続けること。
この「旅」のすべてはあなたのためであって、初めから終わりまであなたのためのものなのですから。
「踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする」
(坂村真民)
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