「生きがい」と「勇気」が創る人生
自分の事を低く評価してしまう時が誰にもありますが、もし本当にそのとおりだとしても、それが自分の人生にとっての足かせとなっていると私は思わないのです。
昔、イェオルイオス・キリアコス・パナイオトゥさんという方がいて、過度の内向的な少年時代に、自分はスーパーヒーローに変身できると信じていました。
変身した時は、どんな事もパーフェクトにこなせると信じていたそうです。
そして、大好きな歌うことでデビューが決まると、そのスーパーヒーローの名前を芸名にしました。
「ジョージ・マイケル」
不祥事を起こすたびにバッシングされますが、ニューアルバムを発表するたびに賞賛されて第一線にカムバックして、最後は、クイーンのフレディ・マーキュリーさんの追悼ライブでのアクトが素晴らしすぎると、また喝采を浴びます。
あなたが道を切り開いて歩んでいくとき、労苦と熱意と孤独がいつも共にいます。
しかし、それはあなただけの道です。
あなたが生きる道なのです。
何かを本気でやり始めるまでは、あなたには迷いがあって、足を踏み出せないこともあります。
でも、何かを始めたり創造しようとする時には、この世界では一つの真理があります。
それは、その人が奇跡を起こす必要がある時に、神様は奇跡を見せるということです。
そのためには、少しの勇気を持って決断すること。
おじけづいて引き下がらないこと。
人目を気にしないこと。
前例の真似をしないこと。
中途半端に取り組まず、何事も堂々と主体性を持って取り組むこと。
そして、どういうことが起きても、大きな反省などしない。
後悔もしない。
自分の決断が新しい流れを生むことになれば、また自分で決断する。
そして、力の限りに取り組む。
そうしていくうちに、すべてが変わります。
自分さえも変わります。
少しの勇気で決断すれば、人生はとても面白くなるのです。
今まで、つらいこと、苦しいことをたくさん経験した人には、その反対の楽しいこと、嬉しいことも同じように用意されています。
自分が今、何かをかけてやっていることを信じて、自分自身に賭ける時、その先に、きっと生きる道が見えてきます。
成功の基準とは、その人の人生の浮き沈みによって判断されるのではなく、その人が実践して積み上げている徳によって判断されるもの。
成功した人とは、徳を積み上げて、運命のいたずらに動じない人。
誰もが「ふつうの人間」には、ならない。
なれないのです。
意識するのは、周囲との違いみたいな、小さな違いを見つけることではなく、理想とする進みたい道から、自分が今どれだけ離れてしまっているか、ということ。
自分の存在を肯定すること。
自分の素晴らしさを認めること。
そして、自分自身でいること。
自分のしたいことを見つけ、それに取り組むこと。
それを「生きがい」と呼びます。
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