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朝日の昇る山を見る人

私は、ヒーリングを始めてから、女性・男性を問わず、たくさんの「美しい人」に出会いました。

「人が美しい」とは、一般的に、容姿が整っていることや普段のお手入れがよくされていることを指しますが、私が思う「人としての美しさ」とは、表面的なものの奥にある、内面的な心の美しさのことです。

それは、認められることや、ほめられることを期待しない、人を選ばない思いやりだったり、暖かい心から出た言葉や行動だったり、ありのままを精一杯、生きている姿のことです。

そのような、無心で咲く花のような方に、見た目以上の美しさを感じます。

「明珠(みょうじゅ)掌(たなごころ)に在り」(禅語)という言葉があります。

明珠とは光り輝く宝石のこと。
この宝石は、もともと自分の中に宿っていて、大切なものは最初からすべて自分の手の中にある、という意味です。

人間は、誰もが生まれながらに宿る、美しさや優しさを持っています。

でも、私たちは、その感覚で日常生活のすべてを見ているのではなく、今まで得てきた知識や体験や、人の意見で、ものごとの善悪や正解を判断しがちです。

また、その時の体調や気分で、一方的な見方をしてしまうこともあります。

そのような時、ちょっと立ち止まって、相手の立場になって考えたり、第三者の立場になって、もう一度見直してみること。

物事も現象も、それをいろいろな角度から見て、考えるように心がければ、新しい視点が生まれて、それは心の平安になるはずです。

善行を行うということについても、善いことをしなければいけないから善いことをする、というような意味ではなく、楽しんで良い方向に向かっていくこと。

義務感とか、罰を恐れてではなく、自然な気持ちで悪を避けていく。

そうすれば、今も未来も、きっとすべてが明るくなるはずです。

冬に出逢えたからこそ耐えることを知り、春に出逢えたからこそ美しく咲くのが、この世に生を受けている証。

キリスト教では、神は自身の姿をかたどって人間を創られたといわれます。

その姿とは、けっして表面的な姿だけの意味ではありません。

人が人として生まれたのは、偶然ではなく、例外や特別なものもありません。

大切なことは、人間は「らしく」生きること。

自分らしく、人間らしくあり続けるためには、自分が自由であることに気づくこと。

そして、その自由のなかで、より人間らしい行為の選択をして、「私」をつくっていく。

さまざまな新しい気づきを得た時に、自分の中の「知っていること」つまり「自分の辞書」が増えていく。

また一つ、また一つと豊かになっていくことで、自分の世界が広がっていく。

自分の生きる選択肢、人生を楽しむ選択枝が増えていく。

あなたらしく生きたその先に、きっとあなたの人生を豊かに、ワクワクさせてくれるものに出逢うことができるはずです。

だから、何事も臆せずに、経験すること。

私も、自分のなかの神性を信じて、これからも、いろんな方に出逢って、私自身も磨かれたいと思います。

「御同様、気をつけて、落ちつきて、美しき人になりたく候」
 (会津八一)

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