本当の自分を知る
自分の人生を主人公として生きる
先日に、うつ・心の病・不登校の方向けのヒーリングを受けに来られた方と「本当の自分を知ること」について、お話しをさせてただきました。
本当の自分を知るためには、誰かとの比較は必要ないんです。
それはただ、自分の人生を主人公として生きることですから。
(自分の人生を主人公として生きることについて、以前にもこちらの「人生の主人公になる」の中でお話しをさせていただきましたね)
「私にとって『勉強すれば偉くなる』とか
『勉強すれば上達する』ということよりも
『いくら勉強しても上手にならない人もいる』
ということのほうが、
遥かに勇気を与えてくれる」
(山口瞳)
という言葉を残された山口瞳さんに勇気を与えてくれたのは、武者小路実篤さんの描かれた絵だったそうです。
武者小路実篤さんは作家として有名な方ですが、絵も描かれていたそうで、人や風景ではなくて野菜ばかりを描かれていたそうです。
その絵を観覧した山口瞳さんがこの言葉を言われたのですが、その本人様も「人形は目なんか失敗すると、それでもうダメじないか。野菜なら、どうにかなる」とご自分のことを自覚されていたのはとても素敵に思えるんです。
それは、自分のことをよく知っているからこそ、今の自分がいる場所を知っているからこそ、口にすることのできる言葉だと思うんです。

私たちは努力したぶんだけの成果が上がらないと、焦りを感じたりします。
それは、誰かと自分を比べているから。
たしかに、努力をしてさらに努力を重ねて成功した人は尊敬できる人です。
でも、そのような人だけを自分の人生のお手本にして生きていれば、そにギャップに焦りが生まれてくるんです。
大切なことは、努力をして成功してもしなくても、上達してもしなくても、今の自分のことをよく知っておくことです。
自分のことを知ろうとする時、「本当の自分」とはいったい何なのかを知ることから始めてください。
私たちは、自分の中に湧き上がってくる感情や、見たり触ったりする感覚を「自分」だと思っています。
でも、それは出来事や目にするものに反応して生まれてくる「自我」であったりします。
自我とは、執着や自己主張のことで、他者と自分を区別するためのもの。
でも、本当の自分とはその自我よりまだ深いところにあるものですから。

「一寸座れば一寸の仏」(禅語)という言葉があります。
一寸(わずかな時間)でも座禅をすれば、そのわずかな時間は仏になれる、という意味の言葉です。
仏というのは、亡くなった方のことだけをそう呼ぶのではなくて、自我や雑念をすべて落とした正常な状態の人間のこと。
そうなれた時に、私たちは自分のことを客観的に見ることもできるようになって、ありのままに物事を受け止めて、偏った見方のない判断をして、行動ができるようになるはず。
その姿が、私たちの本当の姿だからです。
そして、本当の自分は、自分の人生を主人公として生きるような生き方を選ばせてくれます。
本当は、今のあなたと比べるものはありません。
他者についても、昔の自分についても、「そのような存在」であることを理解できればいいんです。
そうすれば、自分へ向かう意識がどんどん深くなっていきますから。
本当の自分に気づくことができるはずです。
「今の自分が好きかどうかではなく、
昨日より、一年前より、
十年前より好きな自分を目指す。
そうすると、今の自分を生きるのが
楽しくなりますよ」
(押切もえ)
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