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光輝く草原にいる人

変化を繰り返しながら生きていく私たち

今まで継続してきたことをやめることを「あきらめる」という言葉で表現します。

何かをあきらめることは、志半ばでものごとを中止するようなイメージがありますから、どこか後ろ向きな意味を感じさせます。

でも、あきらめることは客観的に自分のことを見て判断しなければできないことですから、

その時は自分の能力を知っている状態で、その上でやらない方がいいという決断ができているはずです。

だから、あきらめることは変化していく自分を認めることでもあるのでしょう。

(変化していく自分を認めることについて、以前にもこちらの「変化できるという強さ」の中でもお話をさせていただきましたね)

その変化の途中で、感情からわきあがってくる、どうしてもやりたい気持ちを自分で抑えることもできるようになるのでしょうし、

手放すという体験が執着も忘れさせてくれるはずです。

自分のものが自分のものでなくなってしまう不安や恐れを忘れることで、心を休ませることもできます。

私たちの迷いは、ものへの執着から始まる煩悩でもありますから。

友達と遊んでいる子供

「気に入らないことがあれば、それを変えなさい。
  変えることができなければ、自分が変わるのです」
 (マヤ・アンジェロウ)

という言葉があります。

仏教では、そのことを「諸行無常」という言葉で表しています。

今、目の前にあるものはいろんな条件や時間の経過によって、だんだんと今のままではなくなっていくから、

いつまでもそのままで在ってほしいと強く想うことはしなくていいと説かれています。

それは、私たちが持っているものや立場のことだけではなくて、自分の在り方についてもそうだと思うのです。

持ち物や社会的な立場だけが私自身だと思っていると、それを失うことに恐れを感じるものですが、

それよりもっと深いところの自分の在り方を意識してみる時、

自分を表現する方法は、どんな物をもっているかとかどんなお仕事をしているかだけでは測ることができないとわかるのです。

祈りを捧げる人

その時に、あなたが目指す姿は周りから見てすべての人から賛成されるものではないかもしれませんし、見栄えのいいものではないかもしれません。

でも、あなた自身が心の底からそう在りたいと願っている姿のはずです。

そこに向かっていくためには、手に入れることと手放すこと、あきらめることと新しく始めることを繰り返しながら、近づいていくものなのでしょう。

その途中で、

「こういう自分が好きだな」
「こういう自分で生きていきたいな」

と思えるようになるはずです。

それが私たちの本音なのでしょう。

そのとおりに生きていくことが、私たちの幸せとなるのでしょう。

「今を過ぎたものは、それに執着していては積み上がるものも積み上がらない。
 今が過ぎ去った瞬間に次の今に向けて高めていきたい」
 (小平奈緒)

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