受け入れるという賢さ
自分の現実の姿と、心の中の自分の両方を愛すること
私たち人間を含めて、この地上にいるすべての生き物は年齢を重ねていくと、老化という「変化」を肉体に感じるようになります。
若くてエネルギッシュな時を過ぎて、活力や行動力がだんだんと下がってくる様子から、人生は四季に例えられることもあります。
でも、それはネガティブにとらえられるべきものではなくて、春夏秋冬の移り変わりのように、その時その時の時代の価値観を楽しみながら歳を重ねていくということ。
常に変わっていく時代の趣を感じながら生きていくためには、目の前の状況が自分が思っている状態から変化していくことを認識すること。
それは、変わり続けていく外の世界と、変わらないでほしいと思う自分の内の世界の違いを認めるということでもあります。
私たちは、自分のことも含めて、身の回りのものがずっとそのままで在ることに安心を覚えますから、本能的に変わっていくことを避けたいと思うものなのです。
でも、外の世界の変化に合わせることをしていかなければ、内の世界とのギャップを見て、ストレスを感じることもあります。
そのストレスを解消するためには、違いを無理に元に戻そうとしないこと。
違うということを受け入れることをするだけでいいのです。
(受け入れることの大切さについて、以前にもこちらの「起こる事すべて善いこと」の中でもお話しさせていただきましたね)
「私たちは安定を求めて落ち着いてはいけません。
自分の“声”は貴重なギフトであり、使っていかなければいけないのです」
(クラウディア・フローレス)
という言葉があります。
人間が心も身体も健康的にあるためには、自分のことを受け入れることです。
それは、病気や肉体の不具合も、美しい声を与えられていることや、人の気持ちがわかる豊かな感受性を持っていることもそう。
良いと思われることも悪いと思われることも、自分に与えられているすべてのことについてです。
「本当はこうだったらいいなあ」
「本当はこうしたかったんだけどなあ」
と思いながら、自分の現状を見て、持っているものと持っていないものを比べて、必要以上に自分を過小評価したり、自分を卑下してしまうこともあるかもしれません。
私たちは、時々、周りに必要以上に自分を良く見せようとしたり、良くないように見せようとしたりしますが、それは自分を縛っていることですから、自分を不自由にしていることだと思うのです。
大切なことは、今の自分の現実の姿と、心の中の自分の両方を知ること。
そして、そのどちらも愛することです。
どちらも、ありのままの自分なのですから。
「こんな自分なんて」と嫌いになる時もあっていいですし、「こんな自分も私なんだ」と嬉しくなる時もあります。
いろんな自分があることを認めることができた時に、自分のことが好きになります。
愛されていい自分であることに気づけば、誰の中にも自分と同じものを見ることができるようになるはずです。
この世界には、変えられるものと変えることのできないものがあります。
変えることのできるものは変えること。
変えることのできないものは受け入れること。
それを見分ける力は、知識や客観的にとらえる視点もそうですが、それ以外にも温かい心や、人を思いやることのできる心や、人間的な暖かさもそうだと思うのです。
それら全部は、私たちが与えられている「賢さ」だと思うから。
これからの永い人生の中で、もっともっと伸ばすことのできるものだと思うのです。
「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、
変えられるものを変える勇気と、
その両者を見分ける英知を我に与えたまえ」
(ラインホールド・ニーバーの祈り)
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