苦しみを調整する
苦しみを、過去を、自分をコントロールする意識
人生を生きづらいと思う時、私たちの心にはこのような感覚があります。
人から見れば幸せに見えるかもしれないけど、何かが満たされていない。
トラブルがあるわけではないけど、何か人生が窮屈に感じる。
今の生き方に違和感を感じる。
その感覚を解決する方法は、物質的に何かを手に入れることや、今の自分の周りの環境を変えることもそうですが、本当はもっと身近にあるのです。
それは、つらいと感じている自分はどんな存在なのかを知ること。
今、苦しいと思っている自分はあなたのすべてではなくて、あなたの中のほんの一部分の表現なのです。
そのことを理解できれば、どうにもできないと思い込んでいたことに隠されていた苦しみは、自分のこだわりや執着から起こっていたことも見えてきます。
そうなれば、そのつらさをコントロールして、もう少し楽に生きていくこともできるはず。
自分と折り合いをつけて、苦しさに立ち向かうだけではなくて、苦しいことをコントロールしながら、うまく付き合っていく生き方もできるのです。
(苦しみとどう付き合うかということについて、以前にもこちらの「人生は山あり谷あり」のなかでもお話させていただきましたね)
出来事や人の言葉の裏にある「意味」や、問題や苦しみの裏にある「気づき」を明らかにすることができれば、そこか見えてくる道があります。
進むべき道が見えてくれば、私たちはどんな状況からでも一歩を踏み出していくことができるのです。
絶望の中にいつも希望はあるのですから。
「すべてを今すぐに知ろうとは無理なこと。
雪が解ければ見えてくる」
(ゲーテ)
という言葉があります。
もし今、あなたの中に重い気持ちがあるのなら、今すぐにその気持をなくすことは難しいでしょう。
ですから逆に、「ないほうがいい」と思っていて持ち続けているものは、「捨てることのできないもの」だととらえてみるのはどうでしょうか。
苦しみをなくすことはできなくても、問題を解き明かすこともできますし、
苦しみをなくすことができても、問題は解決できないこともありますから。
だから、現状はどうあっても私は大丈夫と思える生き方をすること。
問題はありながらも、その中で楽しいことや悲しいことを経験できることが、人間の人生の幸せだと思うのです。
それは、いろいろあるけど生きていてよかったと思える一生でも、生きるのも悪くはなかったなあと思える一生でもいいのです。
「長生きをしていると、過去はがらくたの詰まった屋根裏みたいになる。
探しものをしに屋根裏へ行ってごらんなさい。
なんでもあるけど、探してるものだけは見つからないでしょう」
(クララ・ルイーズ・ケロッグ)
という言葉があります。
私たちは「自分」という存在がちゃんと在るという意識をもっていますから、
そのような自分の人生は充実していなければいけないとか、日常や人間関係も思い通りにもっとよくなるはずと焦ることがあるのでしょう。
そもそも、自分とは身体だったり心だったりをイメージしますが、身体も心も常に変わり続けていくものですから、「これが自分です」とはっきり言えるのではないのです。
これが私ですというものを示すのは、今までの自分が歩んできた道を思い出すことや、他者から見えているその時その時の私のイメージなのかもしれません。
だから、私たちが「私」と思っているものは、自分の記憶や人との関わりの中で創り上げられている存在でもあるのでしょう。
そういうものを全部手離してみれば、怖さを感じる反面、とてもシンプルな自分に気づきます。
縛りや制限の一切ない、無限の存在。
それが、本当の自分の姿です。
望んだとおりの自分になることも、望みどおりになる自分になることも、本当はあなたが選ぶことのできること。
あなたの人生に起きることは、あなたがコントロールすることができるから現れてくるのです。
「気づいたの。
あの出来事は私の記憶の中で、
悪いのは自分、っていう話になってただけなんだって。
私は劣った存在なんだって、自分に言い聞かせてたわけ。
面白いと思わない?
過去なんて、自分に話して聞かせる物語でしかないのよ」
(映画「her/世界でひとつの彼女」より)
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