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朝日をあびる人

私がイメージする「私」であればいい

私たちが、なにか新しいことを始めようとする時、特別な理由はなくても一瞬ためらってしまうことがあります。

その時は、周りの人が自分をどう思うかに関心を向けているからです。

でも、いろんな意見があって当然ですし、否定的な意見を与えてくる方も、本当はやりたいことをやりたいのかもしれません。

ですから、あなたの年齢や能力に応じて、やりたいことをやればいいのです。

下手とか上手とかも関係ないのです。

どのようであっても、ありのままの自分、不完全な自分を見せることを恐れる必要はありません。

あなたが思うほど、この世界は悪意だけに満ちているわけではありませんから、完璧な自分を演じることもないのです。

悪意の人もいれば、善意に満ちている人もいます。

善意の人は、あなたに完璧を求めるのでもなく、あなたの弱さを包んで受け入れてくれますから。

自分が悪く言われることをとても恐れている時は、誰かに悪意を見つけた時。

自分が悪く言われることをまったく恐れない時は、誰かに善意を見つけた時。

あなたが見たいものを、あなたの心が創り出していく。

あなたにとっての新しい方向に向かうタイミングを見つけることも、

好意的な人とつながる機会に出会うことも、周りを気にしすぎない姿勢から始まるものですから。

今まで、誰かの期待に答えられなかったことや、自分はなにか好かれていないのではと感じてしまった経験があったかもしれません。

その時のような気持ちを避けたい思いが、今もいろんな行動のパターンとなっていることもあります。

それは、「安心」を求める生き方ではなくて、まず「不安」を避けたいという生き方ですから、

期待に答えられない自分に自信を感じられない考え方にもつながります。

周りは、あなたを不安から遠ざけて、思う通りの完璧な自分にさせたいとするのかもしれません。

でも、その期待に答えようとして、自分の弱さを隠そうとしたり、ありのままの自分から目を背けようとすることはありません。

周りの人からイメージをされている自分の姿と、自分自身がイメージする自分の姿は同じではないからです。

そのギャップの中で自分を見失うことが、自分に自信を無くすことですから。

「あなたがどんなふうになろうと、私はあなたに失望しない」
「あなたは私を失望させることはできない」
(ハスケル)

という言葉があります。

この言葉のとおりに接するのなら、誰もが自分に自信を持てるはず。

心も穏やかにすごすこともできるはず。

お互いに認め合うことのできるぐらいの価値を、誰もが自分の中に持っていることを信じることができれば、何があっても不安を感じることはないのです。

その時、誰にも頼みたいことを頼めるようになる。

いつでも誘いたい時に誘えるようになる。

自分と同じように、相手もはっきりと答えてくれると分かっているから、思った通りに言えるようになるのです。

「物事に敏感で自分なりの価値判断を持っていることを『細心』といいます。
 気が小さいことは人生の武器なのです」
(斎藤茂太)

という言葉があります。

好かれるために、つきあってもらうために、自分がこうならなければならない。

という考え方も良いと思います。

でも、その見方があなた自身を抑え込んでいるのなら、誰かのために一生懸命に動いても、心は満たされないかもしれません。

大切なことは、心の向きと行動の向きをなるべく一致させること。

今まで、誰かのためにしてきたのに、なぜかうまくいかない時、誰かを責めても状況が良くなるわけではありません。

その時、目を向けるべきはあなたの心の中なのです。

どこかで、苦しいことに耐えるのを偉いと思ったり、しなければという義務のように考えて、自分に負けないようにしていたことがなかったか。

あなたの人生観や人間感、感受性や物事の見方。

そこに、人間としての弱さがあっていいのです。

あなたが、どこかで自分に自信を持てていればいいのです。

あなたが、あなたの期待に答えるだけでいいのです。

「自分が何者なのかを、きちんと理解する。
 有意義な人生を歩むためには、
 それがどうしても必要なことです」
 (映画「私を離さないで」より)

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