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草原を歩く人

頭の中にあるものを外に向かって表す方法

これからどうすればいいかを考える時、どれだけ時間をかけても答えの出せないこともあります。

そのような時、頭(思考)だけで考えないでください。

私たちの思考は、一つのことを様々な視点から見て、その先がどうなるかを自動で予想してくれるものですから、

頭だけで考えると、結論の出せないまま、可能性をいくつも思い浮かべるだけになってしまうかもしれません。

だから、私たちは言葉を使って思考を形にするのです。

頭の中にあるイメージを言葉によって具体的にすることで、自分自身の考えにも整理ができて、他者にもわかりやすく自分の考えを伝えることができます。

ですから、言葉を正しく使うことができるということは、聞いたことや見たものを性格に理解できていることですし、自分についても表現できることなのです。

「言葉は心の足音である」
 (松原泰道)

という言葉があります。

どのような言葉を口にするかで、いろんなことがうまくいくこともあります。

誰かの言葉に、「でも」「だって」と言いたくなる時もありますが、自分の意見の主張をちょっと脇に置いて、その人の言うことをよく聞いてみてください。

そのような考え方もあるんだと思えれば、あなたの心にゆとりができて楽になります。

そして、相手の言葉を受け止めることもできるようになります。

人生がうまくいく時は、他者を否定していない時です。

自分の考えだけにこだわらずに、いいものを取り入れようとしているからです。

人間は、たくさんのものがあっても、自分が関心を持つものに意識が集中する性質があります。

例えば、興味のある車がある時は、外でその車種をよく見かけるような感覚になるようにです。

つまり、私たちは今の自分の範囲で物事を見ているということなのでしょう。

自分の考え方や見方だけでこの世界をすべて理解することはできません。

だから、私たちがこの世界に興味を向ける時に意識することは、いろんなことやいろんな人の言葉に謙虚に反応することなのでしょう。

私たち人間は、地球上のすべての生物のなかで唯一の、生きることについて考える生き物です。

「人の気持を慮(おもんばか)ることのできる優秀な頭脳と柔らかい心。
 それさえあったらそれで十分なんです」
(白岡あさ『NHK連続テレビ小説あさが来た』より)

という言葉があります。

人の気持ちを察することのできる優しさと、誰にも温かく接することのできる心。

人間が生きるためには、この二つのことがしっかり備わっていれば、人生はなんとかなりそうな気がするのです。

そのような人と一緒にいると、そばにいる人も心が温かくなるから、お互いに助け合うこともできるはずですから。

今の私たちに足りない言葉は、
「なぜ」「どうして」という言葉。

職場などでそう尋ねると、うとまれることがあります。

でも、理由がわからない時、納得のできない時、そう尋ねるのは当たり前だと思うのです。

理由がわからなければ不安になりますし、納得ができなければ自分の仕事に自信も生まれません。

そして、言われたままのことをしているだけでは責任も持つことができないものです。

駆け引きや損得を計算する環境のなかでも、オープンな態度で接していれば、誰とも理解し合えるものです。

恥ずかしいという気持ちや、弱いところを見せたくないプライド、そういったものを一度外して今の考えをそのまま口に出すことから、探り合うことも必要のない不安も消えていきます。

自分にとっても、相手にとっても、言葉を交わすことで暗かったものを明るくはっきりするものに変えることもできるのです。

「初めに言葉があった。
 言葉は神と共にあった。
 言葉は神であった。
 この言葉は、初めに神と共にあった。
 万物は言葉によって成った。
 成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった。
 言葉の内に命があった。
 命は人間を照らす光であった」
 (新約聖書 ヨハネによる福音書1章1~4節)

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