人生を、光の方へ
あなたの人生の、今も未来もすべてを、明るい光の方へ向けていく生き方。
先日、自宅サロンにて、2人の方にヒーリングをさせていただきました。
〇〇さん、〇〇さん、来ていただいて、ありがとうございました。
お話ができて、私も楽しかったです。
ご縁をいただいたことに感謝です。
お二人とも女性の方で、初対面なのに、私の幼い子供がとてもなついてびっくりしました。
女性の、その容姿だけでなく、雰囲気や発するものが、子供の心をゆるしたくなる存在なのかもしれませんね。
教育心理学では、子供は、さびしい時もうれしい時も、真っ先に「お母さん」を求めるそうです。
それは、今まででいちばん安定した場所、お母さんの胎内を思い出して、お母さんに包まれて、心が安らぐからだそうです。
お母さんも、赤ちゃんを育てている間、忍耐強い「無条件の愛」を体験しています。
そのような愛に包まれた経験や、その記憶が「お母さん」を求めさせるのかもしれません。
安心の「安」という漢字のとおり、家の中で優しくおおらかに、いつも微笑んでいる女性が、子供にとって、大好きな母親なんだと思います。
でも、母親だけがその愛を持てるのではなく、誰にも同じように、それぞれの立場での体験が用意されています。
だからこそ、人は生まれてくる意味があるのです。
ハビエル・スブリさんが残された言葉に、このような言葉があります。
「人生に使命があるのではなく、人生が使命である」
人は、使命のために生きているのではありません。
生きていること、そのものが使命なのです。
「自分にはこの人生でいったい何ができるのか」と、突き詰めて考えると、何かをしなければならないという使命に心を奪わがちになります。
その時、気負いや、周りの方との比較が強く在るのならば、そこから生み出されるものは、義務感や罪を恐れる意識です。
未熟であっても、無力であっても、心や身体が自由ではなくても、まず自分自身を肯定していくこと。
その根底にある、そもそものあなたの存在を忘れないこと、否定しないこと。
でも、あえて自分を否定する必要があるとすれば、自分は愚かであると認めること。
本当の意味で、自分を否定することは、誰もが認めたくないことです。
でも、そう思えた時、あなたの心には勇気があって、強い意志があります。
だから、言い訳や言い逃れをする必要もなくなるのです。
自分を認めてあげることも、愚かであると思うことも、その二つをあわせて「自愛」なのです。
正しいことをする、という意識ではなく善いことをして、明るい方へ向かっていくという意識。
それがあれば、きっと今も未来もすべてが明るい光の方へ向かっていくはずです。
「あなたがたは堂々と光の子であることを認め、
光の前にすべてを明らかにして、
光となって生きなさい」
(新約聖書 エペソ書5章8節のお説教より)
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