私の中の光と闇
光の中にも、闇の中にも意味を見つけることのできる、心の余裕
世界的プロゴルファーのタイガー・ウッズさんのウェアが、ツアー初日は黒色から始まって、最終日は赤色で締めくくられるのは、
死から生に向かうことを表すような、スピリチュアルなイメージでとらえられることがあるそうです。
黒色のウェアから始まることに違和感を感じるかもしれませんが、それは私たちが、何かが始まる時は「明るいところ」から生まれるイメージを持っているからです。
でも、一日の始まりは闇から始まって、朝日と一緒に明るさが来て、また暗くなっていくもの。
どんなものも、ずっと明るいところだけにいることはできないのです。
光と闇の両方があって、この世界は成り立っているから。
同じように、人生でも何かが始まる時は、いつも光の中からとは限らなくて、闇から始まることもあるのです。

「心を引き裂かれるのはいいことよ。
この世界のことを学ぶ絶好の機会だから」
(映画「20センチュリー・ウーマン」より)
という言葉があります。
光とは、喜びや楽しさやうまくいくことをイメージさせるから、もっと触れたい良いものですし、
闇とは、苦しみやつらさやうまくいかないことをイメージさせるから、できるだけ避けたい悪いものという感覚があります。
でも、光には光の価値があって、闇には闇の価値があります。
だから、思わしくないことを無理矢理に変えようとするよりも、一度受け入れてみること。
あなたの見ている外の世界がどれだけ闇であっても、あなたの内の世界が光のように明るいのなら、
どのようなことにも「出会う意味」を見つけることもできます。
そこで、心の余裕も持つことができるのです。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」
(旧約聖書 伝道者の書 3章11節)
という言葉のとおり、光も闇のどちらも、私たちに必要があって用意されているものなのでしょう。
都合の良くないこともあるかもしれませんし、早く消してしまいたい気持ちもあるかもしれません。
でも、その中で経験することが私たちを成長させてくれます。
目をそむけたり、他のことでまぎらわすこともしなくていいのです。
すべては私たちを強くしてくれるもの。
人間としての私たちを深くしてくれるものですから。
(人生で出会うすべてのものが、私たちを成長させてくれるものということについて、以前にもこちらの「私を成長させるもの」の中でもお話をさせていただきましたね)

どのような生き方をしても、私たちは光と闇の両方に出会いながら進んでいきます。
ですから、闇の方ばかりを見て、過去や自分自身を否定しなくていいのです。
大切なことは、光と闇のどちらについても、どう付き合っていくかを考えること。
どちらも、そのまま胸に抱えたままで生きてもいいのです。
そのうちに、どちらの中にも意味を見つける時が来ますから。
そして、その先にはもう迷いや苦しみはなくて、感謝と充足感があるはずです。
同じ人間の誰にも、そのようになる日が来ます。
だから今は、目の前の一つひとつのことを感じてください。
あなたなりの感じ方で、いろんなものに出会うことの意味を感じてみてください。
正解も間違いもありません。
あなたの感じたことを、あなたの正解としていいのです。
「この宇宙には、万物を司る力がある。
だから君は、その力に身をまかせればいい。
くよくよ考えるのはやめて、
起きることを全部受け入れること」
(映画「ボールズ・ボールズ」より)
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