愛を信じて、共に生きる
先日、私のヒーリングを、ご夫婦でご一緒に受けられた方がいらっしゃいました。
巡り会いやご縁というものはとても不思議なもので、ひとつ一つの出会いにちゃんと意味があって、私たちは巡り合っています。
夫婦というものも、月と太陽のような関係で、その関係性も、時と同時に入れ替わったりしながら、それぞれが持ち合わせていないものを補い合っていくもの。
出逢った二人が夫婦になって、ずっと一緒にいると、いろんなことが起こりますが、それでも一緒にいることで、「家族」としての絆が深まっていきます。
家族が共にいることに、幸せの原点があって、家族の絆は家族のなかで生まれるからです。
そのような素敵なお姿を、お会いしたご夫婦の方、皆さんから気づかせていただいています。

夫婦の愛は、恋人同士の愛とは異なるものです。
恋人同士の愛は、自分からの愛と同じものを相手にも求めますが、夫婦の愛は、思いやりや感謝がたくさん含まれた大きな愛。
そして、長い間ずっと寄り添ってきた愛は、静かに暖かいのです。
激しい情熱の火花を放つことはありませんが、今はただそっと燃えている。
その暖かさが心をそっと暖めてくれる。
そのような愛も素敵だと思います。

「愛は事なりと言えり」(無住)という言葉のとおり、相手に合わせる力を「愛」といいます。
共に喜ぶ分かち合いも、共に苦しむことも「愛」といいます。
どんな人間でも、共に喜びと苦しみを味わえば、同じ人間だと感じるようになる。
でも、「共に生きる」ということは、幸せを求めて不幸になることではありません。
出逢いに新しい可能性を見て、今はまだ想像できない形で、これからもっと幸せになることを目指すことです。
心のベクトルが愛に向かっていれば、きっと大丈夫。
愛を持って接する人には、素直に心を開くしかないからです。

「誰かを愛するということは、単なる強い感情ではない。それは、決意であり、判断であり、約束である」(エーリッヒ・フロム)という言葉があります。
「好き」と「愛する」は同じではないのです。
「好き」は感情的なものであり、「愛する」は意志的なものなのです。
そして、愛とは非常に不安定なものだから、日々築いていくものなのです。
私は、一体だれのために苦労しているのだろう?
私の楽しみは?
誰を幸福にするために、自分を犠牲にしているのだろう?
と自分に問いかけたくなった時、自分以外の人のために生きるという目的と、自分がなぜ、そこまでしているのかを考えること。
人は、献身して愛してきたものから、人生の意味を受けとることができるのです。

そして、愛が運命を決定する時がきっとあります。
自分への愛、パートナーへの愛、ご家族への愛、これから出逢うすべての方への愛、それを信じて、感謝して生きるということ。
今までいろんな方から愛情をもらって、愛されてきたように、私も日々、愛情を出す毎日です。
「大切なことは、
どれぐらい与えたかということではなく、
そこにどれほどの愛をこめたか。
いつも一緒にいなさい。
たとえ誤解があったとしても、共にいなさい。
許し、忘れてあげなさい。
そうすれば、神の愛を心から感じることでしょう。」
(マザー・テレサ)
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