ブログ

ブログ

朝日を見つめる人

どんなネガティブな過去も、そこからの学びがあって今この瞬間に繋がっている

人生を軽やかに楽しく生きる
岡野式神気ヒーリングサロン(福岡・久留米)オーナーの岡野りさです。

年末年始が近づいてきてますね!

皆さんは大掃除はもう終わっていますか?

私はまだ、ちゃんと時間をとっての大掃除はやっていなくて、そろそろ予定を入れて動かなくてはと思っているところです(汗)

毎年この時期に私が思うのは、「モノは増やさず、最低限に持っておきたい」ということです。

気を抜くと、なにか便利グッズやセール商品とか、オンラインショップなどで見てしまい、買い足そうとしてしまう自分がまだいます。

でも、モノが家の中に増えてくると、自分自身の思考の中も整理がつかない、同じような状態になってしまう感じがして、今の私はモノが必要以上に増えることに気持ち悪さも少し感じてしまいます。

なのでポチる手を、寸前で止めることができるようにはなりました(笑)

極力、スッキリさっぱりな空間の状態、思考の状態を保って生きたいなと思います^^

年末の大掃除も、その分きっと楽になりますからね☆

今年のうちに必要のないモノをさらに手放して、ホコリもはらって、新年に向けて波動の良い空間を整えておきたいなと思います^^

草原を散歩する人

さて、今日のお話は「パニック障害だった私」についてです。

今は見た目なんにもないような私ですが、こんな私でも20歳の頃に一度、パニック障害を発症したことがあります。

周りの人たちからは、それを聞いて「え!?岡野さんが!?」と大体驚かれます。

それが現在進行形であれ、過去のことであれ、こうやってみんなそれぞれ自分の中でしか分からないような、いろんな痛みや苦しみを内側に持って生きています。

(私がよく周りから言われているように)パッと見で、何にも困難もなく幸せにこれまで生きてきていそうな人であっても、必ず一人ひとり抱えているものがある、そう私は思っています。

私のパニック障害が始まったのは20歳の時、ちょうど看護学校の2年生の時でした。

1年生の時は、元気に学校に通えていたのになぜか突然、2年生に入ってから急に、教室にいることがただただ息苦しくなり、動機がして、

それを周りに察知されないようにしていることがまた苦しくて、授業も頭に入らず、「学校を出たい」と気持ちはただそれだけでした。

自分でも、なぜ突然そんなことになってしまったのか、それから20年以上経った今でも、当時の得体の知れない苦しさの原因は分かりません。

そしてしばらくの間、自分の中だけで誰にも言えずに我慢していましたが、ある日学校に行く限界を感じて、母親に状況を打ち明けました。

そこから心療内科を受診して、当時は「パニック障害」という診断名がなかったからなのか、お医者さんからは「うつ病」という診断名をつけられていました。

そして定期的に通院しながら、抗うつ薬や抗不安薬などを飲みながら、無理をしない範囲で学校へ通う、学校が苦しい時は早退するというスタイルで生活しました。

当時は、私の苦しい状況を理解してくれようとしていた母や、当時お付き合いをしていた同級生の彼の寄り添いがあって、唯一その二人に心を支えられていました。

なにも否定することなく、ただ見守っていてくれたことに今でも感謝しています^^

草原を歩く人

そこから半年ほど経ったころでしょうか。

お薬の効果があまり見られないというお医者さんからの話しで、別のお薬を処方してもらいました。

するとそのお薬に変わった翌日頃から、母いわく、「その翌日から急にりさの様子が明るくなったから、逆にこっちが不安になって病院の先生に相談した」と言われた位、私の様子が変化していたそうです。
(私がそんなに急に変化したという認識は、自分では気づけませんでした)

そのお薬がなんだったか今では覚えていませんが、それを機に、ありがたいことに私のそれまであったパニック症状がまったく出なくなったのです。

パニック症状が出て消えるまで、約 8ヶ月ほどの期間だったかと思います。

今でも当時の苦しさの感覚は、思い出そうとしたら少し思い出すこともできます。

理由がわからない強烈な不安感。

なので当時は、同級生たちともうまく付き合えないようになっていました。

周りはすごく楽しそうにしている中で、自分だけが一人、すごく苦しんでいる。

そんな自分の感覚が、さらに友達を遠ざけて孤立していました。

当時を思い出すと、やっぱり今でも苦しくなります。

早朝の海を見つめる人

近年、このパニック障害を抱えながら生きている人達が、芸能人もはじめ、かなり沢山いらっしゃるようですね。

その苦しい気持ちは、当時経験したことのある私はとてもよく理解できます。

自分が経験することで、相手の痛みや苦しみがわかって、相手に寄り添うことができる。

(苦しみの体験が、誰かの苦しみに寄り添う心を創ってくれたことについて、以前にもこちらの「困難を受け取る姿勢」のなかでお話しをさせていただきましたね

これはパニック障害だけのことではなくて、どんな苦しいことや辛かったことなどについても、言えることですね。

そして、健康な身体や精神を持って、日々を淡々と過ごせること、当たり前なことと思われがちですが、このことがどんなに有り難くて感謝できることなのかというのを、過去を思い出す度に感じられる私になりました。

人生には、大変だと思えるいろんなことが、突然、予兆もなくやってきたりします。

「なんで私がこんな目に合わないといけないんだ」と、その時は沢山苦しみを味わいます。

でもいずれ、その経験自体が、あなたの人生のどこか先の方で、どこかの誰かの助けや希望になったりもするものです。

そして自分自身の、健康に対する感謝の気持ちが深まっていくことにも繋がると思います。

今日は過去の私の話が中心になってしまいましたが、この話があなたの気持ちに寄り添えたらいいなあと思います^^

Follow me!

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。

お電話はこちらPAGE TOP