無になるということ
他者と自分を同じ存在として見ることを愛と言うんです
先日、福岡県福岡市からスピリチュアルヒーリング・除霊・占いのセッションを受けに来てくださった方と、
「無になるということ」ということについてお話をさせていただきました。
いろんなことに反応したくなる感情や、まだ起こっていないことや過ぎてしまったことを目の前に表そうとする思考を抑えるためには、
自分を「無にする」ことがいいと思うんです。
「身心脱落」(道元禅師)
という言葉があります。
それは、自分の体も心も抜け落ちてしまった状態のこと。
つまり、自分というものがなくなってしまった状態のことを表しているんです。
自分のことばかりを考えている「利己的な欲」を捨てた時に、私たちは純粋な「無」の状態になると言われます。
その無とは、何も持たないことではなくて、何もなくなってしまうことでもなくて、
自分だけが良ければいいという「利己的な欲」がなくなった状態のことなんだろうと思うんです。
私たちが、なかなか決断できなかったり、周りの人と自分を比べて自分を見失ってしまうのは、
自分のことだけを大切にしようとする気持ちがあるからかもしれません。
でも、自分と同じくらい、相手の立場や持ち物や今置かれている環境を考えてあげることができたら、
私たちは今よりもっと、いろんな人に寄り添うことができるようになるはず。
誰かの心の痛みがわかるようになるはずなんです。
(自分と同じように他者のことも考えることについて、以前にもこちらの「他者という味方」のなかでお話をさせていただきましたね)

「他の人の痛みがあたかも自分のように伝わってくる。
他の人の命が自分のものであるかのように
温かく感じられるようになる」
(アルトゥール・ショーペンハウアー)
という言葉があります。
自分という存在を強く意識できている時は、自分の道をしっかり歩んでいくことに夢中になっているから、周りのことが目に入らなかったりします。
でも、「自分を捨てる」という感覚になれると、ものの見方も変わるんです。
この世界のいろんなものに、自分の存在が深く関わることができると信じられるようになるんです。
他者についても自分についても、同じように一人の人間として見ることもできるようになれるんです。
ものごとについても、人間についても、美しいとか汚いとか、いつかの過去のことや未来のことではなくて、
今の状態だけを見て接することができるようになるんです。
その視点を「愛」と呼ぶのかもしれませんね。
「私が理解していることのすべてを、
私はそれを愛するがゆえに理解している。
愛は生命そのもの」
(レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ)
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