不完全な私たち
人間らしさという価値を見ること
先日、福岡県筑紫野市からヒーリング・除霊・占いのセッションを受けに来てくださった方と「不完全な私たち」ということについてお話しをさせていただきました。
私たちが心に疲れを感じる時は、完璧でいようとしている時だったりします。
お仕事や人間関係の中で、「こうあるべき」理想の関係を自分に求めることや、相手に対して求めることがあったりしますが、なかなかそうはならなかったりするようにです。
私たちは、計算をしながら合理的に生きているだけではなくて、心や感情の動きも感じながら自分を生きていて、
心や感情にまかせた選択は、その時その時の状況や気分に影響を受けたりしますから、どこか不安定でいつも同じではないんです。
でも、その不完全さが自分を超えたことをさせてくれたりする。
その時に、愛とか感謝がすぐ近くに感じられたりもするんです。
私たちの不完全さが「人間らしさ」を思い出させてくれることもあるんです。
自分の心や感情が、自分を不完全にさせたり、人間らしさを表してくれたりすると分かれば、他の誰もが自分と同じことも分かるんです。
疑うことも信頼してみることも、嫌うことも愛することも、みんな自分と同じように思っていると分かれば、誰とでも自然に向き合うこともできるんです。
どんな人の中にも、あなたが気に入っているところと不快なところがあるかもしれないし、
その人をまるごと愛することはできないかもしれませんけど、その人のすべてを受け入れることはできるんです。
誰かを受け入れることができる時、あなた自身のこともあなたは認めることができているはずですから。
(他者を受け入れることについて、以前にもこちらの「受け入れる姿勢」のなかでお話をさせていただきましたね)
どんなことにも完璧を求めるように鋭く生きていると、誰かを傷つけてしまうことも、自分自身を傷つけてしまうこともあります。
「よき細工は、少しにぶき刀を使う」
(吉田兼好)
という言葉があります。
切れすぎる刀よりも少し鈍いぐらいの刀のほうが、味のある作品をつくることができるという意味の言葉です。
私たち人間も、少しぐらい鈍いぐらいのほうが人間味を感じさせてくれて面白いと思うんです。
ぱっと見、足りないとか、無駄に見えたり、役に立たないと思うこと。
そういうものが自分にも誰のなかにもあると思って、他者にも自分にもゆるい目線を向けてみること。
そのうちに、他者にも自分にも「人間らしさ」という価値を感じられるはず。
生きやすさも感じさせてくれるはずです。
「私だけじゃない」とわかるから。
みんな同じだとわかるから。
「弱い自分を見せてください。
ひとりでも多くの人に見せてください。
そのとき優しく受け止めてくれた人があなたの本当の友達です」
(水谷修)
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