先読みをしないこと
とらわれずに、自由にその時を生きること
先日、福岡県福岡市からヒーリング・除霊・占いのセッションを受けにこられた方と、「先読みをしないこと」についてお話をさせていただきました。
私たちが何かを始める時、まずは頭の中で「こうなったらいいな」というイメージから始まって、
いろんなイメージの中からふさわしいものを一つ選んで、行動に移していくもの。
だから、私たちはつねに「先を読む」ということをしながら生きているんです。
将棋のプロ棋士の方々のように、ひとつの変化から10手、そこから枝分かれして100手、1000手までを先読みすることは日常生活ではないにしても、
私たちはお仕事の予定やプライベートの人間関係で、そこからのいろんな展開を想定して、ものごとを始めることをしています。
考えられる展開に備えて、その対応の仕方や心の準備をしておくことは、
目の前のことに自信をもって取り組むことをさせてくれる、いちばんの方法です。
そうやって、その準備は私たちの心に「安心」を与えてくれるためのはずですが、
あまりに抱えずぎると、うまくいくかどうかということに意識が向いてしまって、逆に「不安」を生み出すようになったり、本来の力を発揮できなかったりするんです。
(考えすぎることが不安を生んでしまうことについて、以前にもこちらの「思いこみを外していく」のなかでお話をさせていただきましたね)
この世界で起こることは、究極的に私たち人間の力だけではどうにもできないところがあるんです。
どれだけ効率よく進んでいきたいと思っていても、学びのための「ひと休み」をさせられることもありますし、
どれだけ早く近道を通っていきたいと思っていても、素晴らしい運命の出逢いが待つ「遠回り」をさせられたりすることがあるようにです。
私たちの意志とはまた違う次元で、なにかの力が働いて、目の前に現象として現れることについて、なんとなく自分の身をもってわかってくる時、
どんな出来事も自分のために「与えられたもの」、という受け取り方もできるようになるはずです。
逆に、どれだけ先を読んでも、その想像を超えたことが起こる時もあると思って、
きっちりではなくて、ざっくりと備えて進んでいくほうが、自分らしくパフォーマンスができるはず。
流れを決めてしまわないほうが、どんな想定外に出遭ってもその場の空気を読んで自在に対応ができるはずです。
「雲無心」(禅語)
という言葉があります。
空に浮かぶ雲は、風にまかせて形を変えていろんな方向に流れていくように、私たちもとらわれのない自由な姿でいようという意味の言葉です。
どんなことにもとらわれず、でも心の中にある「大切なもの」を見失うことがない姿。
とらわれないこと。
惑わされないこと。
流されないこと。
それが、私たち人間の真の自由な姿なんでしょう。
「誰かに何かを証明する必要はないの。
ただ自分の心に従って、世界に向かって私が言いたいことに集中するだけ。
私は自分の世界を生きているんだから」
(ビヨンセ・ノウルズ・カーター)
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