恋愛という人間関係
人を好きになることは、人を美しく理解すること
先日、福岡県八女市からご縁結びヒーリングのセッションを受けに来られた方と、「恋愛という人間関係」についてお話しをさせていただきました。
どんなことについてもそうですが、夢中になりすぎる時に生まれる、物事についての「こうなってほしい」とか、周りの人についての「こうあってほしい」という強い願望は、執着となることがあります。
だから、どんなことにも「腹八分」を意識してみることが、楽に付き合っていくコツだと思うんです。
それは、恋愛についてもそう。
相手をいつも想うぐらいに夢中になっていると、どうしても自分と相手を重ね合わせてとらえてしまうこともあります。
自分のことをぜんぶ知ってほしい。
あなたのこともぜんぶ知りたい。
自分と同じくらい、いやそれ以上に大切な存在に出逢う時、私たちは自分の人生にも自分自身にも大きな喜びと充実を感じられるもの。
でも、今まで生きてきた環境や、経験してきたことも、関わってきた人間関係も異なっている二人が、すぐにすべてを理解し合えるというのは難しいんです。
違っていて当たり前。
今はまだ、なんとなく相手のことを知っているつもりでいいんです。
それぐらいの感覚で、最初から相手に完璧を求めすぎずに、ゆっくりとこれからの二人だけの価値観を創っていけばいいんです。
(人を好きになる時に新しい自分になれることについて、以前にもこちらの「人を愛することが動機」のなかでお話しをさせていただきましたね)
「ここから一歩も通さない
理屈も法律も通さない
誰の声も届かない
友達も恋人も入れない
手がかりになるのは薄い月明かり」
(THE BLUE HEARTS「月の爆撃機」)
という言葉があります。
私のなかにも、あなたのなかにも、誰のなかにも、ほんのちょっとの不可思議な領域というものがあるんです。
それがあるからこそ、私たちは相手への興味や愛情が終わらないのでしょう。
もし、自分と誰かの100%の相互理解というものがあるとするなら、出逢った時の相手への新鮮な魅力や、自分の人生をもう一度生き直すようなきらめきは、すぐに色褪せていくような気がするんです。
性格や表現や外見の「違い」のずっと奥にある、一人ひとりが持っている「オリジナリティ」
それを出逢う人一人ひとりのなかに見ることができれば、その人のことをもっと美しく理解できるはず。
誰かを好きになる時、私たちはいつもそうなるから。
いつでも、そういう見方で、人を見ていたいですね。
『未熟な愛は言う、「愛してるよ、君が必要だから」と。
成熟した愛は言う、「君が必要だよ、愛してるから」と』
(エーリッヒ・フロム)
この記事へのコメントはありません。