柔軟であることの強さ
時によって、相手によって、変われるという強さ
先日、大牟田市からヒーリング・除霊・占いのセッションを受けに来られた方と、「柔軟であること」についてお話しをさせていただきました。
私たちは、高いお給料がほしいとか、高い地位がほしいとか、周りの人から尊敬されたいと思う時、自分が強く在ればそれは叶えられると思うものです。
ですから、周りから評価をされなかったり、なにか損をしていると感じる時は、自分の価値を低くして、自分の存在を弱く見ていることがあるんです。
たしかに、この世界で生きていると、弱いよりも強いほうがいいという考え方が一般的だと思います。
でも、本当に強ければ、みんなより幸せになれるのか。
本当に弱ければ、みんなより幸せではないのか。
それは、必ずしも言い切れるわけではないと思うんです。
そもそも、何を持って強いと言うのか、弱いと言うのかも、時代の価値観で変わるもの。
それは私たち一人ひとりのとらえ方で決めていいものなのですから。
(人間の強さについて、以前にもこちらの「人間としての強さ」のなかでお話しをさせていただきましたね)
「この世には、水よりやわらかく弱いものはない。
しかし、硬くて強いものを攻めるとしたら、水に勝てるものはない。
なぜなら、水そのものの本質は変化させられないからである」
(老子)
という言葉があります。
水というのは液体ですが、蒸発して気体になったり、凍らせて固体になったり、いろんな姿に形を変えていきます。
ですから、パッと見は主体性がないような、弱いもののようなイメージに思えたりもします。
でも、水はすべての生き物にとって必要な「恵み」であって、大地を削り取る「強さ」もあって、最後はみんなの足元に落ち着いていく「謙虚」なもの。
その時その時、相手によって自分の姿を変えることができる柔軟さがそこにはあると思う。
それが、私たちの思っている強さや弱さが当てはまらない力なんです。
自分の強さを頼りにして生きていると、周りの人から助けられたりした時には、自分のことが惨めに思えることもあるかもしれません。
自分を信じるということは、自分の力を信じることでもあります。
だから、私たちは強く在ろうとすることから自分を自由にすることはなかなか難しいのかもしれません。
でも、深く考えさせられるような出来事に出会う時に、誰かの親切や手助けという「他力」によって救われることで、「自力」に頼りすぎていた自分に気がつかされるんです。
人生を自分の力だけで生きているような気がしていても、どこかで誰かの力をいただきながら、私たちは生きています。
自分だけを頼ることもあれば、お互いに頼りにしていることもあります。
いろんな関係性のなかで、日々、柔軟であることの大切さを感じていたいですね。
「子どもは頭がやわらかいから
子どもはこころがやわらかいから
やわらかい仏のこころを生きているから
柔軟心を生きているから」
(相田みつを「いま泣いたカラス」)
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