視点を変えてみる
執着を持たずに、ものごとを、人を、自分を見てみること
先日、ヒーリング・除霊・占いのセッションを福岡市から受けに来られた方と、「いろんな視点でものごとを見ること」についてお話をさせていただきました。
「神様は、ドアを閉めたとしても
必ずどこかの窓を開けて下さっている」
(映画「サウンドオブミュージック」より)
という言葉があります。
今、自分の歩みが止まっているような感じがする時は、今までのやり方を変えてみること。
「このやり方しかない」と思っていても、少しだけ目を違う方へ向けてみると、もっとかんたんで効率のいい方法が見つかったりもしますから。
取り組んでいることがうまくいかない時ほど、よけいに他のことに目を向けることができなかったり、思い込みも強くなってしまうこともあります。
でも、その先にある成功や失敗にたどりつくまでの道のりがまだまだあるのなら、その道中をどれだけ楽に進んでいけるかに意識を向けてもいいと思うんです。
人生に歩み方にはマニュアルはありません。
進み方にも個人差があってもいいんです。
(人生についての思い込みを外すことについて、以前にもこちらの「観念というフィルター」のなかでお話しをさせていただきましたね)

「人生やものごとはすべて移り変わるもので、ずっとそのままでいられるものもない」
ということをこの世の真理として説かれている仏教の教えでは、そのことを知ろうとしない私たち人間の姿を「愚かさ」として表されています。
物質の世界で生きている私たちからすれば、自分がやっと手に入れたものを失いながら、また新しいものを手に入れるという循環の仕組みはなかなか受け入れたくないもの。
その時に、心のなかで働いているものが執着なのでしょう。
それは、持ち物だけではなくて、考え方についてもそう。
何かに執着をもつと、それしか見えなくなったり、先入観でものごとを見て、肝心なものを見落としてしまうこともあるんです。
大切なことは、視野を広くしてものごとを見てみること。
それはたとえば、あなたが欲しいと思っているものを手に入れるまでをイメージするのではなくて、
その後の、自分の生活や気分や環境やライフスタイルがどうなっているか、その時の自分が周りの人や社会に対してどんな影響を与えているかまでを想像してみること。
そうすれば、あなたが欲しがってた物や立場は「目標」にすぎなかったことに気づいて、それほど大きなことではなかったとわかります。
あなたの中で、何のためにそれを手に入れるのかという「目的」の方が大切なことになっていきますから。
ものごとも、人も、自分自身も移り変わることを受け入れられるはずです。
そのなかで、常に今の自分を超えていく姿勢をもってください。
一度に大きく動くこともありません。
一日、数ミリでもいいんです。
それが私たちの求道心の姿ですから。
「ほんとうに
どんなつらいことでも、
それがただしいみちを
進む中でのできごとなら
峠の上りも下りもみんな
ほんとうの幸福に近づく
一あしずつですから」
(宮沢賢治)
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