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手をつなぐ兄弟

私の中にある、初期衝動を思い出す

今はダイバーシテイ(考え方や生活などのすべてが多様化している)の時代と言われています。

それは人生の楽しみ方や歩み方についてもそう。

人それぞれでいいとされている価値観の時代になりつつあります。

そのような中で感じられる充実感や達成感は、すべて自分しだい。

あなたがあなたの人生の進み方を決めていいんです。

だから、休むことなくずっと走り続けて疲れた時も、一度休憩をしてもいい。

一度立ち止まることで元気を取り戻すこともできますし、自分自身のことや今まで歩いてきた道をいつもとはまた違う視点で見ることもできますから、

そこでまた新しい進み方があることに気づいたりすることもあるんです。

一気に走り抜けることも、ちょっと寄り道をすることも、どちらも私たちの人生には大切なこと。

あなたのペースで進むことも、立ち止まることも、あなたが選んでいきましょう。

(人生を自分で選んで進んでいくことについて、以前にもこちらの「自分を生きる」の中でお話しをさせていただきましたね)

朝日に照らされる人

「七走一座」という禅の言葉があります。

七回走ったら、いったん座ってみなさいという意味の言葉です。

同じように、キリスト教の旧約聖書のなかにもこのような一節があります。

「こうして天と地と、その万象とが完成した。
 神は第七日にその作業を終えられた。
 すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた」
 (旧約聖書 創世記2章1-2節)

走り続ける人生もそれはそれで素晴らしいこと。

でも、止まることも決して悪いことではないんだよ。

逆に、それはとても大切なことなんだよ。

ということを、どちらの言葉も表しているように思います。

山頂から朝日を見る人

「さらに頑張る事が答えじゃない」
 (山口真由)

という言葉があります。

「止まる」という機会は、いろんな機会で私たちに訪れます。

お仕事がうまくいかない時や病気になった時や、誰かの言葉や大切な人との出会いをきっかけにして、一度止まってみるということをしてみようと考えたりしますよね。

私たちは新しい展開を経験することを止めると、今までの自分の過去について考えることを始めます。

それが自分を見つめ直すことや、今までの自分を振り返る大切な時間になるんです。

今までを振り返って、今とはまた違う形の幸せがあった頃を思い出してみることや、もう忘れていたけど気になっていたことを思い出してみること。

今の自分は、その頃からの自分から繋がっているものですから。

だから、昔を思い返すことは後ろ向きになることではなくて、今の自分がどこにいるのかを定点観測するため。

あの頃の自分の気持ちを置き去りにしないためなんです。

たとえば、今、取り組んでいることにどうにも一生懸命になれないのなら、それを始めた頃の自分を思い出してみてください。

その時の自分の気持ち、心の中にあった衝動、どんな風が吹いていたかという皮膚の感覚から、どんな景色を見ていたのかまで。

それを頭に思い描く時、私には今やるべきことがあるとわかるはず。

「止」の上に「一」を乗せると「正」という字になるように、たまには一度、立ち止まることが正解だったりします。

心を落ち着かせて、昔を思い出す時間をつくってみるのもいいと思いますよ。

「疲れた人は、しばし路傍の草に腰を下ろして、道行く人を眺めるがよい。
 人は決してそう遠くへは行くまい」
 (ツルゲーネフ)

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