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夜の街を眺める人

私たちは、どのようにも考えて、どのようにも成ることのできる存在

先日、「うつ・心の病、不登校の方向けのヒーリングセッション」を受けに来られた方と、人間関係についての不安や心配について、お話しをさせていただきました。

人間関係のなかで生まれる不安とか心配は、とても小さな誤解や勘違いから始まることもあります。

たとえば、それは

「もしかしたら~」
「~だったらどうしよう」
「~なのかな」

というマイナスの思いにとらわれてしまう時に表れてくるものだったり。

話し合いのなかで意見がぶつかったことや、約束をお友達が忘れていたことや、こちらが挨拶をしたのに挨拶が返ってこなかったこととか、

いろんなケースのなかで、相手の気持ちがわからないうちに「こうなんじゃないかな」という自分の思いこみで人を見てしまうということもあるのでしょう。

でも、人のちょっとした一面だけを見て、その人のすべてを見極めることはできません。

その人の中にある、パッと見ただけでは気がつかなかったことは、自分の思いこみを外して見ることで見えてくるものなんです。

(思いこみを外すことについて、いぜんにもこちらの「思いこみと観念」のなかでお話しをさせていただきましたね)

強い風を受けて立っている人

「一生衆生、ことごとく仏性有り」(禅語)

という言葉があります。

この世界のあらゆるものに、美しい心が備わっているという意味の言葉です。

ひょっとしたら、あなたが「こうだ」と思って見ていたのは、相手のほんの少しの一面にすぎないかもしれません。

だから、その人の中に美しいものを見つけるために、もう少しだけ、深く接してみること。

この言葉で言われているように、誰の中にも仏性という、やさしさや思いやりや暖かさや包みこむような気持ちがあります。

そこを見ようとする姿勢でいれば、必要以上に思いこむこともなくなるはず。

どのような人にも、ふと見せる美しいものを感じとることができるはずです。

人に対してのネガティブな感情は、自分の思い込みを外して見てみることで、ポジティブなものに変えていくことができるんです。

だから、今までの人間関係で感じていた不安や心配も、その時に違うものに見えてくるはずです。

寄り添う恋人

「彼をさばく前に、彼を理解しようと努めるべきである」
 (サン=テグジュペリ)

という言葉があります。

私たち人間は、状況しだいで、どうにでも考えることができて、どのようにも成ることができる存在です。

どのようにも考えることができて、どのようにも成ることのできるのは、とらわれない心がさせてくれるもの。

その心は、いろんな人と関わることや、今の環境のなかでできあがってくるものなんです。

今、あなたの中にはいろんな傾向があるかもしれません。

でも、それを良いとか悪いとかの価値観にして物事を見なくていいのです。

自分の傾向と正反対のものに出会った時こそ、他者から教えられることがあるからです。

出会う人の中に、まだ自分の知らなかったことや美しさを見ようとしてください。

私たちは、そうして高め合うことができるようにされていますから。

「あなたが他人にしてあげられる最も偉大なことは、
 富を分け与えることではなく、
 その人独自の豊かさを示してあげることである」
 (ディズレイリ)

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