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夕焼けの海と人

心を無にすることで、新たなものが与えられる

今年もあと数日となりました。

思いだすと、今年はこんなことがあったなあと振り返ることがいっぱいあります。

その全てが今年の私の学びとなるものです。

来年はこんな年にしようかと今からワクワクしています。

私たちが生きているこの世を、仏教では「三世」という言葉で表しています。

それは、過去と現在と未来の三つの世界のこと。

私たち人間は、この三つの世界のつながりの中で生きていて、現在を生きている時は過去はもう過ぎ去っているから、今をどう生きるかによって新しい未来が生まれて、それが現在となっていくのです。

つまり、もう終わった過去のことをいつまでも考えていても出来事を変えることはできませんし、

まだ来ない未来についても、実際に目の前の現れてから考える方が余計な心配も生まれないということなのでしょう。

過去や未来についてこだわらない姿勢は、不安や悩みや心配を感じにくくさせてくれます。

だから、今の自分の生き方に自信を持っていることを表している姿勢でもあるのです。

私たちは過去や未来をどうにかしようと考えるよりも、「今」をどう生きるかということに集中するのがいいのでしょう

(過去や未来にとらわれないということについて、以前にもこちらの「手放すことの大切さ」の中でお話しをさせていただきましたね)

希望の朝を迎える人

「手放すとは、結果に執着しないこと。
 結果がどうなっても、平安を保ち続け、幸せでいられるのです」
 (リズ・ブルボー)

という言葉があります。

変化していくその時その時に意識を向けて生きるということは、今まで持っていたものを手放して、新しいものを手に入れながら生きていくことでもあります。

でも、私たちは一度手に入れたものをなかなか手放せないものです。

「喜捨」という言葉が禅にあります。

「惜しむことなく喜んで捨てる」という意味の言葉ですが、その手放すものとは物質的な物だけでなく、心のなかにある執着も含めてなのです。

私たちが物を手放すことができないのは、そこに執着があるからなのです。

断捨離という行為も表しているように、不要なものをひとつ捨てることは、執着をひとつ手放すこと。

要らない物や、心を曇らせるものを手放して、シンプルな状態になった先に「無」という感覚が感じられるようになるのです。

昇る太陽を見る人

無とは、何もないということではなくて、何もないからこそ、いろんな可能性のあるものや豊かなものが新たにそこに入ってくるということ。

固定観念や雑念の少なくなった状態なら、人の言葉も素直に受け止めることもできますし、今まで気がつかなかった大切なことにも気づくことができるようになるはずです。

だから、「無」とはこれから新しいものがいっぱい入ってきて「有」になるものなのです。

私たちに生きにくさを感じさせるものは、物質だけではなくて、自らの心から生み出されるものもそうです。

そのどちらも、本来は私たちを豊かにするはずのもの。

だから、私たちは一度立ち止まって、どんなことにもとらわれない見方で、要るものと要らないものを選んで、手放していくのです。

今、この一瞬一瞬に意識を向けて生きてみること。

そして、新しいものを手に入れていくことが、私たちに与えられている自由でもあるのでしょう。

心を無にすることで見えてくるもの。

そこで見つけるものが、私たちのこれからに必要なものなのでしょう。

「今を過ぎたものはそれに執着していては積み上がるものも積み上がらない。
 今が過ぎ去った瞬間に次の今に向けて高めていきたい」
 (小平奈緒)

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