私を成長させるもの
私の思わしくないものが、成長のために必要だったこと
このブログを書き始めてから、私は過去のいろんな方が残した名言に触れるようになって、その当時の生き方や考え方や、生きることへの想いを感じる学びをいただいています。
そこで私が思ったことは、どれだけ技術や文明が発展しても、私たち人間が生きていく上で出会う、生きることへの悩みや幸せを追求する姿勢は今も昔もそれほど変わっていないということ。
そして、その問題点や原因も、同じように昔から大きく変わってはいないということ。
私たちの中にある、自我や執着や見栄や欲や、他者との比較や、期待や悦びや希望や、そこで生まれるいろんな感情も、時代に関係なく、すべての人に同じようにして備わっているものなのでしょう。
「学べば学ぶほど何も知らないということが分かるようになる。
何も知らないと分かるようになるほどもっと学びたくなる」
(アルベルト・アインシュタイン)
という言葉があります。
スピリチュアルや宗教では、この世界に生きている間の最大の目的は、自分の魂を成長させることだと言われます。
つまり、この世界でいろんなことを身をもって体験して、気づきを得て、本来の向かうべき方向に自分を修正していくということなのでしょう。
私たちの一生、生まれてから死ぬまでの過程は個人差はあっても、基本的な部分は同じです。
何も分からない状態で生まれてきて、親や家系というつながりと自分個人の持って生まれた魂のバランスを感じながら、自分の信念で選択と行動をしていく。
その先で、たくさんの人たちと関わりを持って、成功や失敗の経験をしたり、満たされたり不足を感じたりを繰り返して学んでいくのです。
その学びのゴールとは、やはりこの世界の真理を知ることなのでしょう。
その真理とは、自分の外に見える形では確認できないもの。
それは、この世界でいろんな体験を繰り返していくなかで、自分を理解すること、他者を理解すること、人間がこの世界に生きる目的を知ることだから。
この過程には近道もなくて、どんなに技術が進歩しても、一人ひとりがゼロから体験していかなければいけないこと。
だから、人生とは波風のないことが良いことなのではなくて、何かが起きることが当たり前とされているのでしょう。
現代の私たちの人生の選択の基準は、「どれだけ楽で、どれだけ要領よく、時間がかからないか」という傾向があるように思うのです。
誰にとっても、苦労や困難はしたくないものですが、それを「私を人間としてもっと成長させてくれる機会」ととらえることができれば、あなたの人生が向かう先も、あなた自身も大きく変わるはずなのです。
「願わくば、我に、七難八苦をたまえ」
(山中鹿之介)
という言葉のとおり、今までの自分の人生を振り返る時、自分はどのような時に成長をすることができたかと考えることで、一つの答えが見えてくるはずです。
それは、楽だった時でも安心できていた時でもなくて、苦しかった時や、辛かった時だったはずです。
気持ちがくじけそうな時も、心が折れそうな時も、自分を支えることができていたあなたは、
これからも先が見えない闇の中でも勇気をもって進んで、自ら光を見つけて、壁を超えるたびに大きく成長していくことができるはずです。
「成長を続けるためには、私たちは学び、決断し、実行し、
そして、なおも学び、決意し、実行しなければならない」
(スティーブン・コヴィー)
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