怒りを外す
自分の欲望とうまくつき合うこと
先日、ヒーリング・占い・除霊のセッションを受けに来られた方と「怒りの外し方」についてお話しをさせていただきました。
(怒りの外し方については、以前にもこちらの「怒りを手放す方法」でもお話をさせていただきましたね)
私たちがイラッとしてしまうのはどんな時だろうと思いだしてみると、自分の都合にとらわれている時が多かったように思います。
たとえば、掃除機の欠け方から本の並べ方から料理の仕方など、これだという自分のやり方を持っていればいるほど、自分の都合に合わない状況に出会うことが多いのでしょう。
たしかに、こだわることやとらわれることは探究心を生みますから、物質的には豊かな世界を創り出します。
でも、それを精神面や生き方に当てはめると、ゆるせないものに気づいてしまいます。

仏教では、3つの煩悩として「貪り」「怒り」「愚かさ」を説かれていて、貪ることと愚かであることは自分の内にあるものですが、怒りは外に向けられるものとされています。
そして、心が穏やかな時には怒りはわきあがってこないものです。
つまり、怒りの感情とは自分の思い通りにしたいという欲望から始まっているのでしょう。
でも、社会はいろんな都合を持った人たちの集まりですから、自分一人の欲望がいつも通るはずもなくて、自分と反するものに出会うたびに感情が大きく動いていれば、心も穏やかにはなれないのです。
こうあってほしいと思うことは、守りたいものがあるからなのかもしれません。
それは、物質的なものだけではなくて、精神的なものも含めてです。
だからもし、めったに怒ることのない人がいるなら、その人は自分のことだけを見ているのはないのでしょう。
とらわれることから怒りが始まるように、自分がいつも優先されるわけではないことを「当たり前」だと思えることが、怒りの感情とうまくつき合っていくコツなのでしょう。

「この世界は人を満たすことは十分にできるが、
人の欲を満たすことはできない」
(マハトマ・ガンジー)
という言葉があります。
怒りの感情とうまくつき合うこと。それは、自分の欲望とうまくつき合うことでもあります。
私たちの願望や欲望には上限がありませんから、どこで「もう十分です」という気持ちを持てるかなのです。
つまりそれは、足るを知るということ。
でもそれは、欲を少なくすることが美しいということではなくて、手に入るものは拒否をせずに、周りと比べずに、自分の感覚を大切にしながら受け止めるということ。
そのような心持ちでいれば、周りに惑わされずに、心は豊かであるはず。
私たちは人間である以上、欲望を持つのは仕方のないことです。
だから、ほどほどを知って、自分の欲望と調和して生きること。
そこから、怒りを忘れるような生き方も始まるはずですから。
「怒るけど、一日十回は感動して生きていたいんですよ」
(加藤シヅエ)
この記事へのコメントはありません。