ジャッジはいらない
他者の自由を認めるという視点
私たちは、人の言葉や行動について「あの人は間違っている」という言い方を時々したりします。
それは、人をジャッジしていることなのですが、その気持ちが湧いてくるのは私たちの中に自分の型のようなものがあるからです。
私たちの頭の中にある、これはこういうものだろうという型にはまらないものにはジャッジの心が出でくるのでしょう。
でも、この世界でこうあるべきと定められているものは一つもないのです。
揺るぎない信念や、強すぎる正義感をもつほど、これが正しいという考え方が生まれます。
自分を正しいと思った瞬間から、自分の反対側にあるものを間違いと見るようにです。
ものごとをありのままに、ジャッジをせずに見ようと思うのなら、まずは相手になりきってみること。
それは、相手の立場ではなく、相手の考え方で見てみるということです。
たとえば、もし自分がその人と同じ環境で育って、同じ生き方を今までしてきたとしたら、自分はどのような考え方をするだろうかとイメージしてみてください。
自分の価値観の中で相手を見ていたから、そこから相手の言動がズレた時に、あの人は良くないとか間違っているというジャッジの心が出ていたことに気づくはずです。
でも、相手と同じ価値観になれば、相手を間違っているとは思わなくなるのです。
相手のことを理解できるからです。
それは、人生経験の多さや感受性のみずみずしさも必要としないもの。
ただ思い込みを外して、その人のことを分かろうとするだけ。
分かるということがその人の考え方になるということだからです。
「嫉妬は常に他人との比較においてであり、比較のないところには嫉妬はない」
(フランシス・ベーコン)
という言葉があります。
人をジャッジすることをやめると、人のせいにすることもしなくなります。
悩みやうまくいかないことを誰かのせいにすることは、一瞬で自分を楽にすることでもありますが、
それらを自分の問題だと思えるようになれば、そこから自分の成長も始まるのです。
そして、自分よりもすごいと思う人を素直に尊敬できるようにもなります。
人を嫉妬する人は自分が不幸な人。
人を祝福できる人は自分が幸せな人。
といわれるように、私たちの潜在意識は他者と自分の区別ができませんから、他者に向けた思いは自分へも向けられているのです。
大切なことは、どのような視点で他者を見ているかということ。
自分と比べてうらやましく思ってもいいのです。
人をうらやましく思うことは、その人を素晴らしい人だと見ていることだから。
そして、そう思うあなた自身も、自分が成長したいという意志がある証拠だから。
だから、そのままその人に対して「素晴らしいですね」と伝えてあげていいのです。
それがその人のことを受け入れることであって、そこからあなたもその人のようになる可能性が出てくるのです。
ジャッジをするのではなく、その人を受け入れること。
それは、他者の自由を認めてあげるという愛の視点でもあるのです。
それが、あなたの望む姿への歩みを加速させてくれる方法でもありますから。
「私にとって最高の勝利は、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったこと」
(オードリー・ヘップバーン)
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