解放から始まる主体性
私という個を意識すること
私たち人間は、考える力と選ぶ力を与えられています。
そして、ただ行動を起こすだけでなく、自分で判断して、自分で決断して、そのことに責任を持って取り組んでいく行動を「主体性」といいます。
主体性については、以前にこちらの「私の人生の主人公」でもお話しをさせていただきましたね。
今までは、周りの人からこうした方がいいよと言われたから疑わずにその通りにしたり、押されたから下がったりすることがあったかもしれません。
でもそうではなくて、あなたは自分で考えて自由に動くことができることを分かったうえで、その通りにするのです。
主体性を持って生きるということは、自分だけの世界を持つことでもあります。
そして、他者についても同じように、それぞれに自分の世界があることを認めることでもあります。

「君は君、我は我なり、されど仲良き」
(武者小路実篤)
という言葉があります。
あなたはあなたの生きている場所がある。
私にも、私の生きている場所がある。
でも、お互いがその存在や立ち位置を認めあっているという意味の言葉です。
それは、いつも一緒にいる友だちや恋人が一つのことを分かち合うことで、一体感を感じることをして相手の存在を身近に見ることができるということではなくて、
別々の道を歩んでいても、違う場所にいても、通じ合うことのできること。
一人ひとりが持っている世界は、誰かと重なり合う部分もあれば、重ならない部分もあります。
恋人やパートナーと、心がぴったり一つになっているように感じる瞬間は人をとても幸せにします。
でも、相手の心の中のすべてを知ることができないように、心のどこかに自分だけの独自な世界があるのです。
それは、人に言えない秘密という意味ではなくて、私が私らしく生きるためのアイデンティティ。
自分の経験してきたことや、自分の通ってきた道が、私らしさを創り上げていきますから、それは誰にでもあるものですし、否定をされるものでもないのです。
だから、私たちはお互いに共有できる部分を大切にしながら、共有できない独自な部分も尊敬し合って生きていくのです。

「自分で自分の事をどう思うか。
それは他人からどう思われるかよりも、はるかに重要である」
(セネカ)
という言葉があります。
私たちは、理性もあって感情もあって、その時その時の状況にも柔軟に対応する思考も、志のような信念も心の中に持っています。
だから、合理的に生きることは難しいのかもしれません。
もし今の生活の中で、お金に不自由していなくても、時間がいっぱいあるとしても、
なにか縛られているような、身動きの取れないような気持ちがあるのなら、そこから自由になろうとしていいのです。
でも、それは勝手に気の向くままのことをする自由ではなくて、精神的な開放から本来の自分を取り戻すという自由。
自由とは逃げではなくて、開放から始まるものなのだからです。
それはつまり、今の生活のまま、私という個を意識するということ。
たとえば、今のあなたの立場は、会社員であり、妻であり、母であるのでしょう。
それ以前に、一人の女性としての自分を見ることができた時に、そのそれぞれの立場での自分も生き生きとするはずです。
今まで経験してきたことを思い出せば、あなたが思っている以上にあなたの自由の枠は広いと分かるはず。
その時に、自分の中にある主体性にも気づくことができるはずです。
「暗やみの中でも幸せを見つけることができる。
明かりを灯すことを忘れなければ」
(J・K・ローリング)
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