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あきらめて受け入れることで、見えてくる希望

この世のいろんな苦しみを、仏教では「四苦八苦」という言葉で表しています。

「四苦」とは、生きること、老いること、行気になること、死ぬことの四つの苦しみのこと。

「八苦」とは、愛する人と別れるという愛別離苦、憎んでいる人に会うという怨増会苦、求めているものが得られない求不得苦、自分をコントロールできないという五陰盛苦を、四苦に加えたもののこと。

この世界では、思い通りにならないこともあります。

つらいことも悲しいこともありますが、その経験は必ず後の自分の人生で糧になるものです。

だから、苦しみや悲しみを経験した分だけ、感謝や幸せが大きく感じられるようになると私も信じています。

どうしよう、どうすればいいんだとと、心が何かにとらわれている時ほど、心と身体をひとつにして、自分自身と向き合うことを大切にしたいと思います。

逃れるほうがいいのか、向き合うべきなのか、じっとしているよりも行動を起こしてみることが求められるタイミングもあるからです。

一生懸命に努力をしても報われないことも、努力をしたことでダメになることもあります。

誰にもこのようなタイミングもあるのです。

試練のようなことが与えられることがあるのです。

このような時はどうするか。

あきらめて、受け入れていきましょう。

あきらめることで、変化という良いことが起きることもありますから。

絶望を感じながらも前に進むことのできる人は、目の前の状況を理解して前に進むことのできる人なのでしょう。

そのような人になるためには、いつまでもそこにいないこと。

どのような状況であっても、前に進めばその先に希望があることを信じて進むこと。

そのために、今起きている不運から学びを与えれていると思えば、今の見方も変わってきますから。

綺麗な夕日を見つめる人

自分で把握できない変化は最初は怖いですが、その怖さは克服できるものです。

強制的に起こされる変化を、自分の受け入れられるものだと意識できれば、それは楽しみになるのです。

私たちは、行動するより、どうするか怖がっている時間の方が長いもの。

この時間を減らしていくことで、人生の選択の回数も増えていく。

行動量も増えていきますから、新しい自分の姿もぼんやりと見えてくるはずなのです。

だから、私たちが状況を好転させる力を手に入れる時は、絶望のなかで希望を見ようとした時なのかもしれません。

深く悩んであきらめて、これ以上はないと感じた時に、前に向かっていく気持ちしかない状態になるようにです。

その時に、先走っていた感情も落ち着いて、理性でものごとを冷静にみることもできるようになるはずです。

これからどこに向かうべきか、自分にとって何が正しいのか、やることがわかってきます。

あとは、それに向かって進んでいくだけなのです。

「我々は、この世界のなかで、笑い、泣き、楽しみ、苦しみ、
 つまり、最大限の力に共鳴しなければならない。
 それが、本当の意味で人間的なやり方であると思うのだ」
 (ギュスターヴ・フローベール)

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