利他の姿
利他とは、他者も自分も満たすもの
「人は、誰かのために何かをするために生まれている」
「自分が得ようとするのなら、まず他者に与えること」
スピリチュアルや自己啓発やいろんなセミナーにおいて、このように説かれることがあります。
私たちは、誰にも頼らずに経済的に自立をしていても、企業に属さずに一人で起業をしていても、誰かと関わらずに生きていくことはできない存在です。
本当の意味で、人間は一人では生きていくことはできないとわかれば、
私たちが幸せになるためには、心から満たされるためには、そのような利他の心が大切なのだと気づくのでしょう。
利他とは、「他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと」
「人々に功徳・利益を施して救済すること」という意味の言葉です。
(利他については、以前にこちらの「利他の心と調和」でもお話をさせていただきましたね)
他者の利益を願うというと、なにか自分が損をするようなイメージもあるかもしれませんが、
でもそれは自己犠牲ではなく、人のために自分ができることをするということなのです。
そのような、自分の利益と他者への救済を両立させた自利他利の状態をもって、誰もが接することができれば、良い人間関係は自然と築けるようになるはずです。
「他人の利益を図らずして、自ら栄えることができない」
(アンドリュー・カーネギー)
と言う言葉があります。
多くの人が、利他の大切さについても、いい人間関係を築くための方法もすでに知っていると思いますが、実際にそのとおりに実践をすることは難しいのです。
それは、多くの人が自分のことだけで精一杯になっているから、他者のために何かを施す余裕がないためです。
自分が余裕のある、いい状態でなければ、他者にいい影響を与えることは難しいですから、
余裕のない状態からがんばって生まれた施しは、相手に対して見返りを求める態度につながってしまうのです。
だから、まずは自分自身を調えること。
自分に強い負荷をかけながら相手に利益を与えることは、長くは続けることはできません。
ちょっとだけ自分を優先させることも、自分の心に正直になることも必要なのです。
自分を慈しむことができれば、他者に対しても愛をもって接することができますから。
相手の気分のいい状態が、あなたにとっての喜びであるように、あなたの気分のいい状態が相手の喜びになるのです。
人間は、目に見えるものを自分だけが手に入れることよりも、自分が持っているものを誰かに分け与えて、
その人にために自分が貢献できたと思えた時に、一番の喜びを感じるもの。
だから、自分も他者も同じなのです。
誰かのためにも、自分のためにも、同じなのです。
だから、利他とは他者にも自分にも当てはまるもの。
すべては、一つであるのです。
「自分のためを考えなさい。
そして、他の人々にも同じことをする権利を楽しませてあげなさい」
(ヴォルテール)
という言葉があります。
誰かを支えていこうとするためには、まず自分が身をもって経験をして、
その悲しみを感じてみることが必要だったのかなと思えば、今までの体験は必然であったと思えるようになります。
あのお仕事や、あの出会いも、すべてが必然であったはず。
身体が弱いことや、純粋で傷つきやすいことも、何か意図されるものがあって、あなたに与えられたものなのだと思うのです。
それは、悲観することではなくて、同じような境遇の方の気持ちが分かるから、ありがたいことなのでしょう。
だから、恨むこともなく、逆に感謝をするほどなのです。
その経験が、今の私の活動に生かされていますから、すべてに感謝なのです。
「成功とは、他人の権利を尊重し、社会正義に反することなく、自ら価値ありと認めた目標を、黄金律に従って一つひとつ実現していく過程である」
(ナポレオン・ヒル)
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