無知である強さ
「知らない」と言えることから始まる、新しい展開
大昔のギリシアの哲学者ソクラテスさんの思想のなかに「無知の知」というものがあります。
これは、「この世界について、まだまだ知らないことの多い自分を理解している」というものです。
私たちは、歳を重ねていくにつれて、いろんな知識を吸収して、ものごとをとらえる視野を広げて、
自分の選択と行動をもって実際に経験をして、日々、学びを得ています。
それが、私たち人間にとっての成長でもあります。
年月とともに多くの学びを得た時でも、自分がまだまだ「知らない」と言えるのは、とても素晴らしいと思います。
この世界のことを知ることと、自分自身について知ることは表裏一体ですから、
知らないという自覚を持つことで、あなた自身を深く知る道を見つけることになるはずです。
この世界では、絶対に正しいと言いきれるものがないように、あなたが得ている知識の正しさにも、絶対の正しさはないのです。
だから、いろんなものを見て、いろんなことを経験して、この世界にも自分自身にも、その本質を問い続けてください。
そうすれば、どんなことにも執着をしない柔軟な考えを持てるようになりますから。
それを、智慧と呼んでもいいのでしょう。

自分は知っていることが多いと気づけば、まだ知らないことがたくさんあることにも気づきます。
今まで深く関わって熟知をしている分野についても、まだまだ知らないことがあるということを見つけられれば、気づきはいつでも与えられるのです。
このことは、目にする外の世界のことだけではなく、あなたの内の世界についても同じなのです。
自分の発言や行動や感情、外的なものへの反応について、なぜそうしたのかを分かっているようで分かっていないこともあります。
それは、ものごとを正義や損得のフィルターで判断しているからです。
でも、正義や損得とは、その時その時代の価値観や、あなたのいる環境によるものですから、なにかしらのバイアス(偏り)がかかっている見方なのです。
突き詰めれば、本当の自分というものは虚像であるのかもしれません。
でも、そのことを理解できれば、自分のことを本当に理解できていないと自覚できるはず。
そして、その自覚は新しい自分を発見するチャンスに巡り合わせてくれるのです。

不変的な自分というものもないのです。
今のあなたの考えや在り方も、将来大きく変わることもありますから。
でもそれは、マイナスなイメージのことではなく、その時その時で最良の判断をするための思考のフットワークの軽さであるのです。
これだと決めつけていた道を外れる時に、真剣に自分について、人生について考える機会を与えられます。
そして、自分の中に見つけた可能性から、「私はできる」という自信を手に入れるはずです。
その自信は、今まで引きずっていた問題に解決の糸口を見つけたり、逃げ続けていた悩みを軽くする理由を見つけて、あなたの中にあったマイナスの感情を開放してくれるはずです。
あなたとは違う意見や優れた考え方に出会った時、避けることはしなくていいのです。
新しい可能性は、今のあなたとは違うものの見方をして、違う感じ方をして、違う判断をします。
いろんなものに影響をされてください。
その影響を楽しめるようになった時、あなたの人生が大きく変わりますから。
「もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、
本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。
この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです」
(コリントの信徒への手紙3章18~19節)
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