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朝日をあびる人

生きることを楽にするスピリチュアル的なとらえ方

私たちは、自分が人生を生きていることについて、意味を持たせようとしたり、理由を探そうとしたりします。

それは、使命感や義務のようなものの中にも見つけることがあります。

その時、短絡的に誰かの生き方を真似するだけではない、あなたのオリジナルな生き方を追い求めてください。

ひとり一人に、今まで歩んできた人生があって、今からはまだ想像もできない未来が待っているように、生きるということは自分の判断によって創られていくものですから。

そのうちにきっと、生きていてよかったと思う瞬間があります。

それは、特別なことではなくても、日々のお仕事の後の自分へのご褒美だったり、大切な人とすごす時間だったり。

その瞬間を味わうために、今、私は生きていると思ってもいい。

そう思うだけでも、生きていることの意味はあるはず、生きていることの理由はあるはずですから。

生きることを重く考えすぎれば、悩んで身動きがとれなくなることもあります。

大切なことは、今この瞬間を自分が楽しんでいるかということ。

「ふざけるな、遊んでんだから」(赤塚不二夫)
という言葉があります。

同じような意味で、このような言葉があります。
「生きることの達人は、
仕事と遊びの区別をつけない」(老子)

私たち人間は、肉体を持つことによる学びを得るために、ここに生まれてきたと言われます。

その学びについては、楽しいこともつらいことも、魂の成長のためにはどちらも同じ領域であるはず。

それなら、この世界のすべては遊びであるととらえて、自分のいろんな可能性を試してみることを生きる理由とするのもいいと思うのです。

「俺も生きる意味を追求してるよ。
 だけどその意味が見つかることにはなんの期待もしてない」(太田光)

という言葉があります。

私たちが生きていく上で出遭う、すべての問題の大元には、利己的な自分中心の考え方があったり、すべてを自分の思い通りにしたいという思いがあるのでしょう。

でも、現実はなかなか自分の思い通りにならないものです。

そのなかで誰もが同じように思っていれば、トラブルは起こるべくして起こるのでしょう。

私も、そのような経験をたくさんしてきました。

でも、本当はこの世界は人間を中心にして回っていないと思うのです。

この世界は神様のような存在を中心にまわっているのでしょうから。

そして、私たちはイメージの力をもって神様が定めている計画にアクセスをして、イメージの光景を現実として引き寄せているのでしょう。

それは、頭で理解することではなくて、そのようにして実際に生きて実感をすること。

だから、この世界の中心をあなたが手にしているのではなく、その一片をあなたが与えられていると思ってください。

それは、あきらめることではなくて、生きることを楽にしてくれる考え方でもありますから。

今すぐには理解できなくても、いつか分かる時が来ます。

ちょっとずつ、ちょっとずつ、今の価値観を離れて自分らしく生きる人生へシフトしていきましょう。

「『正しい人生』とか『何とかの人生』なんてものはないよ。
 本人にとっての人生しかないんでね。
 自分にとっての人生しかないんだ」(今東光)

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