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自分の運命を信じる人

運や運命を偶然と見るか、必然と見るか

あなたは、運や運命を信じていますか?

私もそれは存在するものだと思います。

運や運命について、以前にこちらでもお話しをさせていただきましたね。

私たちは、人生で自分の思うようにいかないことやトラブルに続けて出会うと、「ツイていない」と運のせいにすることがあります。

逆に、努力をしないで願いごとがかなう時に、「ツイている」と運を信じることがあります。

運というものは、偶然や確率というとらえ方もできるのですが、

スピリチュアルという側面からとらえると、自身の宿命・運命・カルマ・バイオリズムや、家系の流れ、その時の気持ちの調子・・・など、様々な要因によって決まるものでもあるのです。

でも、その中でいちばん強い要因は、あなた自身の気持ちの状態。

あなたの「好き」に従って現象が現れてくる「引き寄せ」もその要因の一つですし、積極的に予測することや備えることをすれば、偶然は減らすことができるからです。

だから、運の半分は外的な要因や偶然によるもので、もう半分はあなた自身によるものなのです。

「運命は我々の行動の半分を支配し、残りの半分を我々自身にゆだねている」(マキャベリ)

という言葉があります。

私もこれまで、人生を自分で選択をして切り開いてきた自覚がありますが、それとはまた異なる次元で導かれるようにして人生を歩んできたような感覚があります。

導いてくれたのは神様のような存在なのでしょう。

すべては強要されているものではないのですから、その人生を避けることもできたはずです。

でも、多分そちらを選んだ方が私にとって善い結果が待っているのだろうと思って、任せて、選んできました。

神様が用意してくれた道は、チャンスやターニングポイントと言うこともできます。

人生の分岐点はみんなに与えられるもの。

私たち人間は、誰もが同じようにされている存在ですが、なにか特別な能力のようなものがあるとすれば、そのチャンスやターニングポイントに気づくこともそうなのでしょう。

その能力を「運」と呼ぶのかもしれませんね。

「あらかじめ決められた運命などない」(映画「アラビアのロレンス」より)

という言葉があります。

この世界の出来事は、偶然に起きていることは一つもないとスピリチュアルのとらえ方では言われます。

出会いも別れも、ラッキーなことに出会うのも、思い出せば、すべてが偶然ではなく、

そのタイミングでその原因と結果によって起きていたと、今までの体験から理解できるはずです。

心理学者のユングさんが提唱したシンクロニシティとは、「虫の知らせのような、意味のある偶然の一致」という概念ですが、

これも引き寄せの発生する前ぶれであるのかもしれません。

道端で自動車のナンバープレートの、7777や4444や1111というナンバーを見つけた時、嬉しくなることがありますよね。

この時、ひょっとしたら、神様がシンクロニシティや引き寄せに気づかせるために私たちにサインを送っているのかもしれません。

神さまは相手を見て、物を言われるのだろうし、「今はまだ」と思われたら時期を選ばれるのでしょうから。

「人は運命を避けようとして取った道で、しばしば運命に出会う」
(ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ)

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