人と人のつながり
人は人によって生かされることもあるということ
私は、ヒーリング・除霊のセッションをとおして、たくさんの方とお会いさせていただきました。
普通に生活していれば出会うことができなかった方にも、セッションをとおしてお会いすることができました。
この世界の学びとは、自分の身をもって経験をすることや知識を受け取ることで得られるものですが、
人とお会いする時、お互いのそれまでの生き方や人生観をすり合わせることで、さらにたくさんのことをいただくこともできるのです。
私たちは、住んでいる場所や、言葉の違いなどによって、最初は隔てられている存在です。
だから、自分だけが特別だという認識を持っていると、他者と自分の間に線が引かれて、他者に対する感情も離れてしまいます。
そうなってしまうと、ちょっとしたことでイライラしたり、争うことになってしまので、最終的には孤立をしてしまうことになります。
でも、私とあなたは同じであるとか、私とあなたはつながっているという意識を持てば、どのような人ともつながりを感じて生きていくことができるようになります。
人は自分で生きていくことができます。
でも、人によって生かされることもあります。
私も、いつもご縁に感謝なのです。
「あなたが、私のうちの最も小さい者にすることはなんでもこの私にすることなのだ」(新約聖書 マタイによる福音書25章40節)
という言葉があります。
私は、ヒーラーとして素晴らしい機会を与えられていると思う時があります。
私のところへヒーリング・除霊のセッションを受けに来られる方が、信用と信頼の気持ちを持って来られていることに喜びを感じるからです。
だから、もし私が人を癒すために犠牲を払わなければならないとしても、そこに喜びを経験する機会を与えられていることに嬉しさを感じるのです。
誰かのために自分を犠牲にすることができる人を「強い」と見ることがあります。
自分が少しでも強くなることができる時というのは、自分で自分の弱さを認識した時なのでしょう。
だから、強くなるにつれて、何かに苦しんでいる人を他人事として見ることも、つまづいている人を平気で見ていられることもできなくなる。
強い人とは、ひとり一人のことに、人間的に反応してしまう人のことなのでしょう。
アドラー心理学の核となる概念「共同体感覚」というものがあります。
これは、「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じる」ことで、それを理解するためには共感という意識が必要なのだそうです。
共感というものは、他者が興味をもっていることや他者自身について関心を寄せること。
私たちの身体は細胞の繋がりでできているように、人と人との繋がりも、ただの偶然や出来事の羅列でもなく、これ以上ないタイミングで私たちの人生に配置されています。
めぐり合いの不思議を思う時、この出逢いが私にどんな喜びを与えてくれるのか、この出逢いから私は何を学ばせていただくのか、
そう意識して目の前の方とお話をする時、あなたは誤解を恐れずに会話を楽しむことができるはず。
そして、目の前の方の欠点も、あなたの中の足りない部分もゆるし合うことができるはず。
ゆるし合うことで、ご縁が深まることもあるのです。
「自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、
お互いが相手の中に自分自身を発見する。
それが運命的な出会いというものだ」
(岡本太郎)
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