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山頂から景色を見る人

あなたの目には、この世界はどう映っているか

先日、福岡市からヒーリング・除霊を受けに来られた方の、ふとした一言が心に残っています。

「最近はいったい何が本当で、何が嘘なのか、わかりませんね」

私たちのいるこの世界は「正しい」には「悪い」、「綺麗」には「汚い」というように、一つのものに二つの見方のできる世界です。

つまり、二極の世界なのです。

そのなかで、片方に偏った見方をすれば、対極にあるものをジャッジする思考が生まれてきます。

私たちの知識や思考が、定められた枠組みのなかに納められているのなら、いつまでも同じような考え方や行動しか生み出せなくなります。

この状況が私たちの中で閉塞感を生むきっかけであって、昨日と同じ状況から抜け出して新しい局面に向かうことを難しくしているのでしょう。

大切なことは、自分の中にいろんな傾向はあるとしても、それを善いとか悪いで考えないこと。

状況に応じて、先入観なく、いろんな声に耳を傾けることができれば、私はどうにでもなれる存在なのです。

夜空を見る人

「自然は人間に一枚の舌と二つの耳を与えた。
 だから、人は話すことの二倍だけ聞かねばならない」(ゼノン)

という言葉があります。

私たちの耳には、ふたをすることはできません。

いろいろな言葉が耳に入って、私たちの精神や感情に働きかけてきます。

その言葉を、仏教用語では「音」ととらえるのだそうです。

様々な音が耳に入ってきて、私たちの心は喜びや怒りに満たされることがあります。

自分は何もしていないのに、ただいるだけなのに、耳から入る言葉によって、心が喜びや怒りに満たされることを経験したことがあると思います。

それは、言葉を通して、他者の感情が私の心に伝わってくるからです。

大切なことは、感情で心を汚さないこと。

感情のままにものごとを理解しようとするのではなく、冷静な洞察によって、愛の見方を意識すること。

あなたの耳に飛び込んでくる、誰かの発する言葉を、表面上ではない深いところにある真意を見て、くみ取ることができれば、

その言葉を発している人の魂の声を素直に聞き取ることができるようになるのです。

夕日に照らされる男性

「愚者にして 己を愚かなりと想うは すでに賢なり
 愚のして 己れを賢なりと思う人こそ 実に愚といわる」(法句経)

と言う言葉があります。

私たちはみな、自分を正しいと思っています。

意識するかしないかは別として、心のどこかでそう思っているはずです。

自分が愚かであるとは、認めたくないと思っているはずです。

でも、認めたくないということが、実は愚かであるという証拠なのかもしれません。

自分が愚かだと認めることは、自分を否定することになるから、それは耐えがたいことです。

私たちが言い訳や弁解をするのは、そのためなのでしょう。

でも、あなたの強い意志と勇気を、この自己否定に向けることができたら、私たちは今よりももっと美しく生きることができるだろうと思うのです。

朝焼けの空を見る人

「上にあるものを求めなさい。・・・上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」
(新約聖書 コロサイの信徒への手紙 3章1~2節)

という言葉があります。

大切なことは、高い意識に照準を合わせて生きること。

この世的な基準に目を奪われていれば、人間は思い上がることもありますし、幸福や自信を無くすことに対して、はらはらすることもあるでしょう。

どうせ私は理解されないという発想で生きていると、違う意見に出会った時、やっぱりわかってもらえないと思ってしまうこともあるでしょう。

自分の感情や気分に支配されていると、ものごとを判断する客観的な視点も失くしてしまう。

自分に合わないと思ったことは、聞こうとも思わなくなってしまう。

大切なことは、どこに価値をおくかということなのです。

あなたの内に積み上げた豊かさは、決して奪われることも、滅びることもありません。

目に見える世界がどう変化しようとも、あなたの見るものすべてに豊かさを与えてくれるフィルターでもあるのです。

そのような見方のできるあなたこそ、幸福にふさわしい人間なのです。

「あなたを支配するのは、出来事ではない。
 その出来事に対するあなたの見方が支配するのだ。」
 (マルクス・アウレリウス)

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