努力の必要性
努力とは、人生を熱く生きること、そして、今持てる力を出し切るということ
先日、東京2020パラリンピックの開会式が行われました。
パラリンピック開会式のテーマは、「WE HAVE WINGS」
「追い風ばかりではない人生のなかで、勇気を出して翼を広げることで、思わぬ場所に到達できる」という想いが、そこに込められているそうです。
アスリートの皆さんのパフォーマンスから、その想いを感じることができるはずです。
その「翼」とは、あなたの感覚に伴う、感情や衝動や情熱だととらえれば、アスリートの方だけが持つものではなく、あなたにも誰にでもあるものだとわかりますから。
「迷ったら前へ
苦しかったら前に
つらかったら前に
後悔するのはそのあと、
そのずっとあとでいい」
(星野仙一(プロ野球選手・監督))
という言葉があります。
私たちは、つい結果ばかりを求めてしまいがちですが、見えない部分の重要性を忘れないことです。
見えない部分とは、行動を起こすことの動機や衝動、そこにいたるまでの努力。
それが、行動を起こす時の私たちの軸となるのです。
私たちは、自分が努力したことの成果があがるかあがらないかによって、努力するかしないかを決めてはいけない。
努力は成果と関係なく、自分のためにするべきもの。
そうとらえれば、努力というのは、常に前進していきたいという情熱をもって生まれた人間本来の姿なのだと言えるでしょう。
誰でも、こうすればこうなるという保証があることに対しては、抵抗なく取り組みます。
でも、保証が約束されていないことに対しては、進んで取り組む人は多くありません。
そのような、与えられた環境の中で、意欲を探して、希望を見つけながらすごすなかで、
自分のしたことに対する見返りが、当たり前にやってくることを求める考え方も、だんだんと起こらなくなります。
努力や自分の姿勢に意義を見出せるようになる。
人間は、保証されたことばかりをしていると、自分の中から湧いてくるエネルギーの源にふたをしてしまうような気がするのです。
「伸び悩んでいる選手は、いわれなき自己限定をしている」(野村克也)
と言う言葉があります。
初めから、できません、なれませんという線引きをすることはよくあることです。
その時、欠点があなたの足を引っ張っているのではありません。
あなたが全力で臨んでいるか、力を出し惜しみしているかどうかの違いからくるものなのでしょう。
人生を熱く生きていれば、逆に、手を抜くほうが難しいのです。
自分の持てる力を出し切ること。
私たちは願っている方向を意識的に見続けることで、そこに向かっていくことができます。
だから、修正しなければならない点を見つけたら、あなたはそれに速やかに取り組んで、変わることを決めること。
新しい考えはどこからか降ってくるものではなく、今の自分から生まれるもの。
世間的な常識や価値観などの、枠組みやしばりのない状態にある時こそ、自由奔放な考え方が馬生まれてくるからです。
人生は「長さ」ではなく、「深さ」
深い思慮や考察の末に、導き出される新たな世界・生き方があります。
何がどうあっても、私たちが望んでいない試練が、逆に私たちを強めていることは事実なのです。
病気、貧しさ、裏切り、それらすべての降りかかってくるものは、私たちのなかですでに経験済みです。
そして、それらは一時的なものでしかないものです。
だから、あなたはどのようなことがあろうとも、強く在ること、そして自分の在り方を疑わないことです。
自分の立場で、自分ができることを、きちんと行うこと。
成すべきことと、成すべきではないこととの区別がはっきりしているということ。
それが、自分の歩くべき道を知っているということなのです。
「さあ、進むのだ。
君が出逢う困難は、前進すればおのずと解決するだろう。
進め。
そうすれば夜は明け、君の行く手に光はますます明るく輝くだろう」
(ダランベール)
この記事へのコメントはありません。