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花束を持つ女性

人間の美しさとは、目にするすべてのものを美しいと思える心のこと。

現在、全国で新型コロナウイルスの感染拡大が急速に広がって、私の住む福岡県久留米市においても、明日、4回目の緊急事態宣言が出されるそうです。

自分が感染することの予防や、外出の自粛、周りの方に感染を広げないための行動を求められる生活が、まだしばらく続くのかもしれません。

でも、このような中でも、陥りたくないのは人間性を劣化させること。

忘れたくないのは、人間として美しく生きること。

私たちは、自分の仕事や、うち込んでいること、人間関係について、自分なりの特別な思い入れをもっています。

そのような、利益や勝ち負けを超えた信念を表す人間の心が、人間の美学となるのでしょう。

そして、長い年月が私たちを柔軟で大らかなものにしますが、人間の美しさとは、年齢を重ねることを必要とはしないもの。

「美しいひと」とは、心の豊かな人なのです。

誰もが、生まれながらに自分の心の闇を照らす小さな光を持っています。

そして、ひとり一人のなかにある光を見ることができれば、私たちの感じたり経験したりするすべての闇は消えて、いま知っているつもりの世界が消えていく。

人間の美しさの一つである「愛」が私たちの心に打ち立てられるからです。

「和敬清寂(わけいせいじゃく)」という言葉があります。

「和」は調和の和、
「敬」は人を尊敬すること、
「清」は清潔、
「寂」は静寂

という茶道の精神を表す言葉です。

大切なことは、ふとしたことであなたと意見の合わなかった人や、出来事のことを思い出すたびに抱く否定的な感情を、そのまま放置しておかないこと。

今までは、あなたに危害を与えた人が不幸になることを、考えたりすることもあったでしょう。

その人の人生で何か問題が起これば、それは自業自得だと思うこともあったでしょう。

その時、相手の不幸があなたの喜びとなってしまうのです。

これは、誰もが経験してきたこと。

でも、自分を中心に物事を考えるのは、利己的であって誰にでもできることです。

逆に、「その人と同じようになるということが、その人への愛」という原則があるのならば、私たちの言動は今よりずっと美しく自由になるはずです。

人に対する時、許し許されることが人間の原則だからです。

社会や人間関係に対しても、私たち人間のなかには、つねに変わらない真理というものがあります。

それが社会の常識と合う時代と、合わない時代があるということ。

だから、私たちの本質はどんな時代のなかでも、権力や流行のなかでも、いろんな意見のなかでも美しく在るのです。

ギリシアの哲学者プラトンさんは、「イデア」という言葉で、目にするものや人間の本当の美しさをとらえようとしました。

それは、私たちの肉眼に見える形ではなく、「心の目」や「魂の目」によって見ることができる純粋な姿、つまり「ものごとの真の姿」や「人間のあるべき姿」のこと。

私たちは、不完全な対象を知覚する時、頭の中では「それそのもの」という純粋で完璧な姿を、理念として思い描くことができます。

プラトンさんいわく、この思い描かれた姿こそがイデアであり、真の存在です。

人間は美しい存在であると分かれば、人間に関わるものすべてが美しいことも理解できるのです。

誰かに受け入れてもらえた寛大な気持ちに、感謝で応える時に、最初に見えていたヴェール(印象)がはがれて、その人の魅力や美しさがはっきり見えてくる。

私たちは、そういうふうにして人を愛してきたし、人から愛されてきたはずです。

人間の美しさとは、完璧ではなくても、人の心を動かすものですから。

「見えるものを見ない
 見えないものを見る
 外見よりもその人の心がきれいかどうか
 これが人を見る目安になります」
 (美輪明宏)

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