「尊敬」という姿勢
先日、ヒーリング・除霊のセッションを受けに、福岡市からすてきなご家族様が来てくださいました。
そのご家族様から、私が気づかせていただいたこと。
それは、お互いの間に尊敬があれば、いつでもそこに人間らしい関係を築くことができるということ。
私のヒーリング・除霊を受けに来られた方との関係は、ただ癒す者と癒される者、施術者とお客様という関係だけではありません。
そこには、利害関係ではないつながりがあって、その根底にはお互いへの尊敬があるのです。
私の思う、人から尊敬される人というのは、いかにたくさん持っていたかではなく、いかに自分の持っているものを人に与えられたか、なのです。
私たちの持っているものは、決してお金や立場という、目に見えるものだけではないからです。
「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」
「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである」
(エーリッヒ・フロム)
という言葉があります。
尊敬の語源となるラテン語の「respicio」には、「見る」という意味があります。
まずは、先入観もなく、ありのままにその人を見るのです。
そして、自分の価値観を押しつけず、その人が「その人である」ことに価値を置く。
他者を操作しようとする態度や、矯正しようとする態度ではなく、その人の成長や発展を助けようとする姿勢。
それが「尊敬」というものだと思います。
目の前の他者を、変えようとも操作しようともしない。
なにかの条件をつけるのではなく、ありのままのその人を認めること。
でも、あなたが認めてあげれば、目の前の方が変わるかどうかまでは、あなたにコントロールできることではないのです。
変わるのかもしれないし、変わらないのかもしれない。
でも、もし、誰かからありのままの自分を認められたなら、その人は大きな勇気を得るはずです。
あなたの尊敬によって、その人が「自分であること」を受け入れて、自分を肯定したり、勇気を手に入れることになる。
それは、間違いないのです。
尊敬とは、だれかに勇気を与えることでもあるのです。
「相手を受け入れ理解しようとすることが
人間関係の基本である。
自分と違っていてもいいと思ったとき
新しい世界が開ける」(ジョン・グレイ)
という言葉があります。
自分には自分の人生があるように、相手には相手の人生があります。
生活に関する習慣の違いは、人間を心理的に隔ててしまいます。
強すぎる信念も、人々をたがいに分け隔てますが、尊敬の思いは結びつけるのです。
人は一人では生きていけない存在ですから、無視されたり軽んじられたりすれば、心は痛みます。
そして、淋しさに覆われることになります。
その気持ちが膨らみ、心のうちに怒りをためてしまう人もいるかもしれません。
怒り、傷つけられたという思い、裏切られた感じ、その気持ちを表に表していくことは、なにか正当なように見えますが、自己の無価値観の信念を強めてしまう。
大切なことは、人間を理解すること。
人間の弱さを理解することができれば、正義だけでは人間は救えないと気づきます。
人と人との関わりの中で、正しさや正義だけに固執することがどれほど危険かということにも気づきます。
互いの痛みに共感し、どんなことがあっても互いにしっかりと関わり合っていこうとする心で、生きるように呼び掛けていくこと。
人が生きる悦びを感じる時、必ず人が関わっているものです。
私たちの生きる悦びの一つは、尊敬すべき人に出逢うことでもあるのでしょう。
尊敬があるところに、良好な人間関係が生まれます。
良好な関係があれば、言葉を届けることができます。
だから、あなたが上司であっても、教える立場であっても、部下の立場や教えられる側に立つ人を敬うこと。
特定の他者を尊敬することではないのです。
その根源にあるのは、あなたと同じ人間への尊敬なのですから。
「本当に価値のあるものは野心や義務感からではなく、
人間に対する愛と献身から生まれます」
(アルベルト・アインシュタイン)
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