あなたの評価とは
先日、福岡市から来られた方とお話をさせていただくなかで、人から評価をされることについて、お話をさせていただきました。
私たちは、「つながり」のなかで日々の生活を営んでいます。
それゆえ、私たちの多くは、良く評価されたいという欲求を持っています。
自分がやってきたことを誇りにしたい。
自分がしてきたことを認めてもらいたい。
という理由で、他者からの評価を重要に思って生きているのでしょう。
今、あなたが自信を失っているのは、期待通りに評価されなかった結果であるのかもしれません。
今、あなたが傷ついているのは、他者からの心ない評価の結果であるのかもしれません。
でも、他者から下された評価の基準は、あまりにもあやふやなもの。
なぜなら、場所や環境が変われば、それはまったく通用しないものだから。
そして、その評価は、あなたのすべてを知らずに、一部分だけを見てくだされた評価にすぎないのです。

「心暗きとき 遇うところ恐く禍なり
眼明らかなれば 途に触れて皆宝なり」(続編照発性霊集)
という言葉があります。
心が閉ざされているときは、何をやっても禍となる。
曇りなき目で見れば、出会うすべてが宝となる。
という意味の言葉です。
この、「心暗きとき」とは、ネガティブになっている時、という意味ではありません。
偏った見方になっている時、なのです。

私たちは、物事にさまざまな色づけをするものです。
宗教的に、道徳的に、大人として、社会人として。
すると、そこに善悪といった規範が生まれて、ジャッジや評価といったものが生まれるのです。
大切なことは、他者を含めた現実の出来事に、自分から価値判断の色付けをしないこと。
そうすれば、行きすぎた想像がなくなり、恐怖も不安も、過度な期待もなくなる。
清々しいものが自分の中に生まれて、物事が以前よりもクリアに見えてくるようになるのです。
お釈迦様は、悟りとは、その出発点を、物事を正しく見て(正見)、正しく考えること(正思)とされました。
何が正しいのかを判断するのは、この世では簡単なことではないかもしれません。
でも、出会う人や出来事が宝と思えるような毎日を送っていれば、曇りのない目で正しく見ることができていると思っていいのです。

私のことを、こう評価する人もいるかもしれません。
現世では、幸運な人でもなく、優れていた人でもなく、導きに引っかかってしまったために、損の多い人生を歩むことになった、失敗した人。
でも、人間がこの世に生きる意味があったかないかは、決して成功や失敗では決まらないということなのです
いやむしろ、現世では失敗であっていいのだと思える心に、豊かさが感じられるのです。
他人が自分をどう思うかに幸せや安心を求めないこと。
自分の人生を採点しないこと。
どんなことでも、やがて消え去る、あるいは変化する。
あなた自身もそう。
どんなことも、どんなものも、いつどうなるかわからないから、その変化を恐れることはなく、その評価も一時的なものにすぎないと分かるはず。
あなた自身が、可能性に満ちたものとして在ることを理解すれば、思い込みから先取りしていた不安から解放されるはずなのです。
「あなたの言葉を一番聞いているのは‥‥あなた自身。
そして‥‥あなたは誰の言葉よりも
自分自身の言葉に強い影響力を受けて人生をつくっている」
(長谷川泰)
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