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瞑想をする人

一日のなかで、朝焼けの時間がとても好きです。

私の住む、福岡県久留米市でも、とても美しい朝焼けに出会うことがあります。

この早朝の時間を、華厳経の方は、「すべてが渾然と溶け合っており、いのちに満ちあふれている渾然一体の状態」と表し、

詩人のポール・ヴァレリーさんは、一日のうちでいちばん「非社会的な時間」として、この時間に創作活動をされたように、

きっとこの時間は、絵を鑑賞するかのように世界を眺めて、「無」になって世の中を観察してみることができる時間なのだろうと思います。

我欲を捨てたときに、人は「無」になるといいます。

「無」とは、何もないということではなく、我欲が抜け落ちてしまった状態のこと。

その時、他者と自分との境界が薄くなって、どんなものにも存在している意味があることを知ります。

もう、以前の自分ではなく、あらゆる存在に浸透できるようになっているのです。

そのような、私の眼、価値観、愛で私の世界を広げていくという新しい価値観を持った人たちの、新しい人間性の次元のこと。

それを「覚醒」や「アセンション」と呼びます。

「覚醒」や「アセンション」は、病気や苦悩、困難を通して、ふと経験することもあります。

その時に、スピリチュアルなエネルギーや、ヒーリング・除霊の能力や、神秘的な体験は、必ずしも必要ではないのです。

でも、ただ一つだけ、必要なこと。

それは、あなたの認識の仕方を変えること。

「思考の自分」を手放すこと。

思考ではなく、感覚が先行している状態であれば、目の前で起こる出来事をありのままに受け入れることもできる。

だから、私たちの認識を変えていけば、未来を想う世界の在り様が変わっていくだけでなく、過去に見てきた世界の姿までをも変えることができるのです。

私たちはこの世界について、なんとか理解したいと思いますが、うまくいかないもの。

人生も生き方も、複雑に考えるから迷路のようになってしまうところがあるのです。

だから、自分の限界を超えているものについては、考えるのをやめること。

なぜこのようなことが起こるのか、人にはわからないことや、人の思いを超えているものについて、いくら考えても答えは出ない。

なぜ起こるのかと、こだわることもないのです。

わからないことは、わからないことにしておけばいい。

賢く考えようとせずに、自分から心を開いていれば、世界のほうから少しづつ私たちの中に入ってくるようになるのです。

シンプルに考えれば、ただあなたの気持ちに応えてくれるのが、この世界の真理なのです。

私たちが本当に欲しがっているものは、目にするものや体験することの奥にある「意味」

やりたいことをやるとして、生きていることや、生かされていることの意味を実現できなかったら、私たちはこの人生に何の価値を見つけるだろう。

だから、最先端に在るものがすべてにおいて優れているという錯覚を疑ってみる。

「あって当たり前」だと思っているものを、ひとつ一つ、丁寧に見直していく。

それは、今までのように「足していく」ことではなくて、背負ってしまった荷物を降ろしていく作業。

たくさん持つのではなく、たくさん愛すること。

深刻に考えることをやめる。

「自分の真ん中」に戻る。

それは、自分の軸、原点に立ち返ること。

自分が必要とする分だけ、私は常に幸福であると信じたい。

信じることはするが、心配や想像や疑いはない。

ただ、瞬間瞬間を生きていく。

現実をすべて引き受ける。

それが、私が私らしく、人間らしく生きるために守るべきこと。

私が思う「覚醒」と「アセンション」の姿。

「神さま 仏さまに 
 対する時も
 一対一
 日や月や 明星さまに
 向かう時も
 一対一
 無心とは
 この二つが一つになることだ」
 (板村真民)

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