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太陽の昇る海岸と人

先日、アメリカのロックバンド、Red Hot Chili Peppers(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)さんが、これまで発表してきた楽曲すべての著作権を売却するというニュースを聞きました。

楽曲とは、ある意味、ミュージシャンにとっては財産であって、それを手放すことができるということは、これからもいつでも、新しいものを生み出せるという自信、変わっていける自信を持っているということなのでしょう。

同じように、ロードバイクの競技で全国的に有名な、九州のとある強豪校の自転車競技部も、厳しい練習と詰め込んだルーティンワークの末に手に入れたたくさんのトロフィーを、一年の終わりに自らの手で、燃えないゴミとして捨てていくそうです。

見えるところに、過去の栄光を飾っておかないということなのでしょう。

過去の栄光というものは、見える場所に見える形で飾れば、「おごり」となって、自らが新しい展開を選択することの足かせとなってしまう。

見えない場所、つまりあなたの「心のなか」に飾れば、それはあなたの生き方となって、素直で透明な衝動、そのままの感情、そして未来へ向けられた眼差しとなって現れるはず。

そして、捨てるという判断は、今日一日を、人間として持てるすべてを使って最高の挑戦をするあなたを、この世の真理に近づく者、と成らせてくれるはず。

「放下着(ほうげじゃく)」
という言葉があります。

得ては捨て、得ては捨てるという「執着を離れた生き方」を表した禅の言葉です。

執着心を放つこと、自我を捨て去ること、また、はからいの心をきれいさっぱり捨て去ることです。

いつまでも溜めていれば淀(よど)む、という現象は、物や環境、人間の心まで、この世の全てのものにあてはまること。

だからいつも循環させる必要があって、手放していくのです。

その瞬間に、私たちは今を基準にして理想の未来へと向かうことができるからです。

そして、信念もまた、常に生まれ変わっていくもの。

信念は、新しい経験や新たな出会いによって生まれ変わっていくものだから、「正解」や「間違い」という判定は出来ないものなのです。

私たちはただ、「その時々の信念」を誠実に実行すればいいだけ。

何かを成そうと思った時に、大きな方向転換や環境の変革は必要なく、自分を変えるなら、まず、日常の中で意識を変えていくこと。

特別な時に、特別な行為をするのではなく、日々の暮らしが修行になるのです。

これまで積み上げてきたものを手放すことは、「幸福」への可能性を手放すような錯覚を起こさせます。

でも、幸福を感じる時、人間はどこで感じるのでしょうか。

それは、頭ではなく、魂で感じるはず。

いや、魂でしか幸福を感じないないはず。

基準、知識、思考、思惑、そういったものはあなたの魂のなかにはないのですから。

だから、私たちはいつでもどこでも幸せになれるのです。

持っているものが少ないから。
失ったものが多すぎるから。
環境が悪いせいだから。

その考え方は真実ではありません。

幸福は、物の質、条件や環境ではなく、あなた自身がどう在るかだけで、あなたがどう感じるかだけで、決まるものなのです。

「ある時点を超えると、もう引き返すことができなくなる。
 そここそが到達すべき点である」(フランツ・カフカ)

化学の世界で”臨界点”という言葉があります。

物質固有のもので、この点を突破すると固体→液体→気体と状態変化が起きます。

人間の精神面でも、臨界点は存在すると思います。

そこを超えると、まだ見ぬ次の自分の状態へと変化していくのです。

不断の努力をしてこそ見える景色があります。

その時、つまづきを恐れることはありません。

つまづきは新しい展開の第一歩なので、まず迷い、まず問うことから始まるのです。

自分で限界を創り出さないこと。

自分で納得のいく言い訳を考え出さないこと。

自分で諦めることをしないこと。

すべては、あなたの心に描くとおりになるのです。

「人間であることの本質は、予想されていなかった行いをすることである。
 すべての人は世界を変革する可能性を持って誕生する」(ハンナ・アレント)

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