「愛」の力を信じること
先日、お友達のヒーラーさんが福岡市から遊びに来てくれました。
とても愛にあふれている方で、人を輝かせるライトワークをされている素敵な方です。
お話をしていて、私もとても豊かな気持ちになりました。
来ていただいて、ありがとうございました。
また、遊びに来てくださいね。
「愛するとは、けっしてたがいに見つめ合うことではなく、いっしょに同じ方向を見ることだ」(サン=テグジュペリ)
という言葉があります。
人が人を愛するということは、身体は離れていても、いつも繋がれていて、同じ目的地を見ているということ。
見ず知らずの男性と女性が出逢って、父親と母親になることができるのは、
男性の中にも女性性があって、
女性の中にも男性性があって、
違いがある上で、調和が生まれているからなのです。
純粋な気持ちで動いて、
純粋な愛を表に出して、
ただ、目の前の方がどのような方なのかを知ることが、愛することに繋がっていくのです。

「確かなものが何もない世界で、あなたを強く思い、支えてくれる人がいるとしたら、これ以上の喜びはない。そのような人がいることこそが、天の舌で苦労するあなたへの最上の報いの一つなのだ」(コヘレトの言葉9章9節)
という言葉があります。
人は、終わりまで他者を求めるもの。
人は、確かに一人で生まれてきて、一人で死んでいくものですから、一生は孤独な旅ととらえられるのかもしれません。
だから、何かを与えられることではなく、誰かから愛されること、自分が誰かを、あるいは何かを愛せるということが、きっと私たちにとっての「救い」となるのでしょう。

家族や大切な人、いろんな方への、見返りを求めない「無条件の愛」というものは、実践することは難しいことかもしれません。
でも、それは憐みや自己犠牲ではなく、
愛していることを忘れないこと。
愛されていることを忘れないこと。
誰かに必要とされていることを忘れないこと。
ただ、それを気づかせてあげること。
私たちが誰かを、何かを愛する時、理性や論理や意志を働かせた結果として、損得や利害を考えた結果として、愛するわけではありません。
私たちは、もっと本質的なもの、魂の力で愛することを選んで、結ばれているのです。

愛とは、感情を押しつける一方的なものではありません。
愛することで、
あなたの閉ざしてしまった心を開かせて、
愛されることで、
私の冷めてしまった心をあたためられる。
もし、愛する人と愛される人の関係や、愛に法則があるとすれば、ギブ&テイクではなく、時にギブ&ギブであったり、テイク&テイクだったり、最終的に必ず平等な関係なのです。
愛そうと思わなくていいのです。
あなたの、在るがままの言動が「無条件の愛」なのです。
「真の愛は、愛すると同時に愛されることです。
愛を受け取ることは、
愛を与えることより難しいものです」
(教皇フランシスコ)
この記事へのコメントはありません。