「人生に光が射す」とは
2年前の今頃に出店をさせていただいたイベントは、今年もコロナの影響で中止となりました。
楽しみにしていてくださった皆様、ごめんなさい。
タイミングが来た時に、また同じ出店メンバーで集まって、皆さんにお会いできると嬉しいです。
私も、その日を楽しみにしています。
その時は、どうぞよろしくお願いいたします。
自分が思っているとおりに現実が進まない状況を「運」ととらえると、それは不公平なものだと思ってしまいますが、人生には、自分の力で流れを変えることが難しい時があります。
その時、「問題」があるからこそ、「私が生きている証拠」ととらえれば、出遭うものに無駄な体験はありません。
苦しみや困難も、私の人生の在り方のなかで出逢った、私のものなので、そのすべてが私にとって必要な出来事です。
大切なことは、起きた事の結果をただ不服とするか、そこに、神の意志のような導きを感じて、「意味」を読みとるかどうか。
望ましくない結果をただ諦めるのではなく、逆に、その結果こそよかったことであって、望みが叶えられなかったことこそ、私への導きや深い配慮だと、わかること。
今まで、私が望んだことで、叶えられたことと、叶えられなかったことがありましたが、心を静かにして思い出せば、そのどちらにも、私にとっては意味があるのだと今は思えるのです。
だから、見えない世界から私を導いてくれる存在の方や、私の本質の存在の方から見て、もし私がこれをするべきではないと思われるなら、私の計画や希望は、いろいろな外的な条件によって阻まれるだろう、と考えることにしています。
そう思うことができれば、たいていの希望は成っても成らなくても、どちらに転んでも大丈夫になるのです。
その時に、出来事と感情が直結することのない、ありのままの世界を眺める「中庸」の在り方を体現することができるはずです。
この地上のすべてのものは、時が来れば、必ず変化をします。
苦しみというのは、「自分」や「今」を維持しようとして始まることなので、悲観すること、感情にまかせることの先には、希望や光は見出せません。
「人生に光が射す」ということは、どのような暗闇のなかでも、自分自身がそのような存在でいること。
逃げることでもなく、悲観することでもなく、強く生きていくこと。
成長や努力をするための行動や情熱を、成果と関係なく、いつも持っていること。
風が吹かなければ、凧(たこ)はあがらないように、その時を待って、変化を受け入れて、流れのなかで生きていく。
そして、いつ、風が吹いてもいいように、いつも準備をしておく。
今は、そのような心持ちでいようと思っています。
「環境というものは、自分の心の在り方によって変化するものである。
心が汚れていれば、環境も濁ってしまう。
また、心は環境によって変化する。
環境が穏やかなときは、心もほがらかになる。
心と環境は、互いに影響しあっているものであり、
そこに人としての奥深い生き方があるのだ」
(性霊集)
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