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太陽を見つめる人

「スピリチュアルって、どんな意味ですか?」というご質問をいただくことがあります。

ヒーリング・手相・占い・癒しなどのワークをまとめてそう呼んだり、この世の物事についての俯瞰したとらえ方を、そう読んだりすることもありますね。

Spritualスピリチュアルとは、
Spirituality(見えない世界から支える)
Spiritualism(不思議な、神々しい)

という2つの側面があるから、いつの時代も神秘的に映る、と聞いたことがあります。

私の想うスピリチュアルとは、愛を動機とした「利他の心」や、その実践のこと。

その実践とは、言い当てるよりも、癒すことに重きを置くということ。

人間とは善にも悪にも傾く存在です。

そのことを理解した上で、私たちが果てしない可能性を持っていることに気づくためのきっかけを与えてくれるもの。

私は、スピリチュアルをそう思うのです。

朝日に照らされる二人

自分の目に見えないものはフィクションで、見えるものがリアルという思い込みがありますが、空気は目に見えないように、目に見えないものほど、人間にとって重要なことなのかもしれません。

私たちが、まだ起きていないことにもワクワクして、今を楽しくすごすことができるのが、その証。

だから、心を素にして、いつも「心が先」でいい。

起こったことについても、自分が欲したことだと思い変える態度があれば、それだけで、自分の人生に主観が生まれて、そこに意味が生まれるのです。

星空を見る人

「直心是道場なり」(禅語)という言葉があります。

直心とは、何の疑いもないまっすぐな心。

真っ直ぐな心があれば、特別な場所に行くことや、特別な人に会いに行く必要もなく、あなたのその心が道場になります。

どんな環境、人間関係でも、自分自身が素直でまっすぐな心を持っていれば、そこから学び、成長することはいくらでもできる。

そして、人間性を成長させることができるのです。

修行をする場所がどこかにあるわけではなく、修行をする心があるだけなのです。

この世の「真理」とは、特別なものの中にあるのではなく、日常生活のなかにあります。

だから、その日常を日々しっかりやりきることが「本質」なのです。

働いている時も、休んでいる時も、いつも、思いと行動が一致していること。

そこを目指すことが、本当の意味の「修行」というものではないでしょうか。

強い風を受けて立っている人

人間は、本能と利己の肉体と、愛と利他の魂がくっついた存在なので、不安定になったり、感情的になったりします。

でも、そのような存在であることを自覚して、その上で、どのように生きていくか。

自分を「知る」のではなく「生きる」。

自分を生きることが、この世界を知ること。

そして、言葉ではなく、経験で覚えていくこと。

その道中で、求めていた答えにきっと出会うはず。

私も今、答え探しの途中ですから。

「私たちの生き方には二通りしかない。
 奇跡などまったく起こらないかのように生きるか、
 すべてが奇跡であるかのように生きるかである」
 (アルベルト・アインシュタイン)

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