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透明な海を眺める人

先日、久留米市の喫茶店さんにて、ヒーリングで出店させていただきました。

平日のお昼間、お店の2階から、忙しい道沿いを眺めていると、ここだけは時間の流れがゆっくりな感覚で、ハナレグミさんの「家族の風景」が聞こえてきそうな、とても静かで穏やかな場所でした。

この、時間の流れの遅さや、風の心地よさに、私の記憶のなかにある昭和60年ごろの、故郷の大分市中島町を思い出しました。

こんなふうに、ふと、肌の感覚が、いつかの風景を呼び起こすことがあります。

アインシュタインさんの相対性理論に、「そもそも唯一かつ、絶対的な『現在』というものはなく、過去から未来にいたるあらゆる瞬間は,等しく実在している」という言葉があります。

想えばいつでも、「その時」になれるのです。

そして、「この瞬間」に生きる時、今この時こそが、素晴らしい瞬間だと知ります。

ただ「現在」の中にのみ、人間は「永遠」を見るからです。

光が降り注ぐ草原

今この瞬間、何を選択するかは、自分で決められます。

過去は変えることはできませんが、未来を変えることはできるのです。

今、あなたが手にしている力を使ってそれを実現すること。

変えられるものとそうでないものを区別すること。

一日のうちでも、自分の力でコントロールできる部分と、そうでない部分を意識して区別すれば、もっと気持ちよく生きることができるのです。

人が見過ごしたり、見逃したり、見捨てたものからも新しい価値を見出すこと。

それが、いつかは人を感動させることがあるからです。

その時、難しくて特別なことをしなければ、成果があがらないという今までの価値観は、自分の思い込みであったことに気づくはずです。

そして、この世界での「成功」とは、何が意味するのかは、あなたが考えればいいのです。

遠くの海を見つめる人

人生には、安定も停滞もありません。

常に「今」を超えながら、どんどん進んでいくのが人生です。

速度を変えながら、足を止めることなく展開を続けていく。

人生の悦びは途上にあります。

だから、急いで目的地を目指すのではなく、さすらうこと。

さすらいのなかや、ちょっとした寄り道の中にこそ、とてもワクワクするものが待っている気がするのです。

楽しそうに踊る仲間たち

「七つの習慣」(スティーブン・R.コヴィー)の第二の習慣は、「終わりを思い描くことから始める」です。

終わりを思い描いても、そこに到達できる保証はありませんが、でも、終わりを思い描かなければ、そこには到達することはできないのです。

私たちは、普段、「生きている」という前提から物事をとらえますが、逆に「いつかは死ぬ」ということを意識して物事を見る時に、人生においてどうでもいいものと、そうでないものががはっきり見えるのかもしれません。

人間は、たくさんの物を持っていても、死ぬときにそれらを持っていくことはできないからです。

過去の栄光をいつまでも握りしめていれば、一歩を踏み出すことをためらいます。

過去の自分の業績にあぐらをかいていれば、それは過去に生きているということ。

過去にどんな素晴らしい体験をしていたとしても、今日、あなたが何をするかにかかっている。

今、あなたが、何をしているのかの方が大切なことです。

どんなにつらい人生だったとしても、それを乗り越えて、今、この場にいるという現実に目を向ける。

それが、試練を乗り越えてきた証拠。

安定を求めることをあきらめたその先に、きっと「不安定に強くなった自分」を見るはずです。

思い出に生きずに、今を生きること。
今、決めること。
必ず成しとげられるから。

「昨日という日があったらしい。
 明日という日があるらしい。
 だが、わたしには今がある」
 (北村薫)

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