人間として生まれた「役割」
先日、久しぶりにのんびりとすごしました。
私は、仕事をしている時の「思考の自分」も、ヒーリングをしている時の「感覚の自分」も、家族とすごしている時の「感情の自分」も好きです。
いつ何をしていても、大好きな自分を確認できれば、人生はもう、劇場のようなものになります。
「運命」とは、自分の命は自分で運ぶ、自分の生き方で創るもの、という意味です。
自分を愛するということは、自分の運命をも愛することにつながります。
だから、運命が持ってくるものを歓迎すること。
運命が私たちに持ってくるものを、拒まずに、遠ざけずに、後回しにせず、愛すること。
もちろん、運命を受け入れずに生きることもできます。
でも、それは安全な生き方ですが、この世界の真理も、命を与えられた意味も、理解できない状態になってしまうのです。
人が運命を受け入れる時、その行き先は、自分の性格や才能や生き方が生み出すものによって決まります。
そういう意味で、誰もが「自分自身を生きること」を選んで歩んでほしいのです。
自分自身を生きることこそ、誰にも代行できない大切なことで、この世に生を受けた意味をもつ行為なのです。
人間は、仕事や社会的な立場の役割をこなしている自己を、自分だと思ってしまいます。
でも、自分はこういう人だと決めつけることは、自分を知っているのではなく、自分を縛りつけてしまうことです。
「随所に主となる」(臨済禅師)という言葉があります。
いつでもどこでも、自分の人生の主人公として主体性をもって、精一杯にものごとに取り組む、という意味の言葉です。
あなたが主役の人生だからこそ、挫折があって、成功があって、わかりやすい敵役がいて、周りの人が助けてくれるのです。
人間は、自分の考えで判断したことを実現することが幸せになる道だと思い込んで、思ったとおりにならないと思い悩みます。
でも人生は、自分の思ったとおりにならないことのほうが多い気がします。
そのような体感の中で、この世の不条理に苦悩して、人間にとっての幸福は何なのかを探す時、何があっても、あなたを守り、あなたにとっての最善へと導いてくれる見えざる手があるから、安心していいのです。
不安を先取りして生きる必要はないのです。
「未来を変える力」とは、湧き出るような「人生を創っていく力」のこと。
人は自分で信じたとおりにしか生きられません。
この現在の状態こそ、人生の今です。
誰もが今を生きています。
今を見ること。
今、与えられているものに満足すること。
そして、生きている限り、生きていることに夢中になること。
それが、人間として生まれた役割なのです。
「心がはかりしれないことを知るから、
身体がはかりしれないことを知る。
身体がはかりしれないことを知るから、
智がはかりしれないことを知る。
智がはかりしれないことを知るから、
人間の可能性がはかりしれないことを知る」
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