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山道で助け合う人達

利他の心とペイフォワードは、私たちに与えられている調和の能力。

先日、ふと見かけたトラックに、このような言葉を見つけました。

「利他の心」

この言葉を、お仕事で使用する車体に載せること、とても素晴らしく思います。

人のためにしてあげたい事をするより、人がしてほしいと思う事をすると考えると、ちょっとハードルが上がる気がします。

さらに、自己犠牲も感じてしまうと躊躇してしまいそうになりますが、利他=自己犠牲ではありません。

利他を自己犠牲ととらえた時、「期待」をしてしまう人間の施しは、神の施しのように「無条件」ではなくなってしまうのです。

でも、あなたの中に、「分かち合いたい」と思う心があれば、もらってばかりの人がいても気にならなくなります。

人へ向けた一つの言葉、一つの行動から「やってあげている」という意識を外すと、人に親切をしても、愛情を表現しても、自然な振舞いになります。

「してあげたこと」と「してもらったこと」の多さを比べないこと。

静かに思い出せば、自分が人のためにしたことよりも、人にしてもらったことのほうがこんなに多かったと感じるはずです。

利己的な気持ちを外せば、「ありがとう」と言うことしかできなくなるのです。

人から受けた施しをまた違う人に施す事に喜びを感じることや、目に見えるものは簡単に返せても、目に見えないものはなかなか返す事ができないことがあります。

それは、次の方へのペイフォワード(人から受けた親切を、また別の人へ新しい親切でつないでいくこと)が、私たちに生まれながらにプログラミングされているからかもしれません。

そうとらえてつき詰めると、他人と自分の境界線が薄くなって、もう「他人」という存在の必要がなくなります。

誰に出会っても、心から笑顔で挨拶をして、素直な気持ちで話をして、人に代わって用をしても見返りを期待せず、よく思われようとせず、相手の歩調に合わせてゆっくりと歩いてあげて、腰をかがめて同じ目の高さで話をする。

相手が笑えば笑い、相手が悲しめば一緒に悲しむ。

そんな鏡のような清浄な心をもって、素直にありのままの自分を映しだせるようになりたい。

あなたの内心や、胸の奥にある気持ちは大切なものですが、いつの日か、あなたの表情や態度に表れているものがもっと大切だと気づく時があります。

善を続けること。

どんな状況にあっても、あなたの信じる善意によって行動することに疲れ果てないこと。

失望せず、やり続けること。

時が来れば、必ず報われます。

「善く生きること」とは、行為による善行の実践であって、幸福は自分の行動のなかから生まれてくるものだからです。

周りを見れば、誰かがするはずのことがいっぱいあります。

その「誰か」にあなたがなるということ。

その心を「利他」と呼ぶのです。

「愚かなる
 我は仏にならずとも
 衆生を度する僧の身ならば」
 (道元禅師)

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